2026年8月27日(木)

Wedge OPINION

2026年8月27日

親日派の誕生と
処罰を免れた戦後

 最初の、そして最大の親日派として韓国で李完用の名を知らぬ者はいない。朝鮮半島は1905年に日本の保護国となり10年に植民地となった。この05年の保護国化に官僚として協力したのが李完用だった。もともと李完用は保護国化や植民地化を望んでいたわけではなかった。だが、日本と朝鮮の国力の差は圧倒的であり、保護国化を拒むことは現実的でない。そこで李完用は積極的に保護国化に協力することで朝鮮側の要求を少しでも日本側に受け入れてもらおうとしたのだった。

 彼の判断は朝鮮の人々の理解を得られなかった。「親日派」「売国奴」と罵られ、朝鮮の人々の憎悪を一身に集めた。朝鮮半島で親日派という言葉は、売国奴と同じ意味で保護国化の直後から使われるようになった。10年に朝鮮が日本の植民地になり朝鮮総督府による統治が始まると、親日派に「植民地支配の協力者」という意味が加わる。植民地支配の協力者は2種類ある。

 第一に朝鮮総督府で働く職員である。朝鮮総督府の中枢はほぼ日本人が占めていたが、末端の職員は朝鮮人が多かった。朝鮮人が朝鮮総督府で働いた理由は生活のためなど様々だ。統治政策に朝鮮人の声を反映させるために朝鮮総督府で出世することを目指した官僚もいる。朝鮮総督府の職員の中で、親日派として特に人々から憎まれていたのは警察官だった。警察官の職務の一つが独立運動の取り締まりだったからだ。

 第二に日本からの独立を諦めた運動家や知識人である。10年の植民地化の直後は独立できると信じる者も多かったが、次第に日本を打倒するのは難しいため、抵抗せずに統治政策に協力することで朝鮮人の地位を向上させようとする知識人が増えていく。その代表例が李光洙だ。李光洙は「朝鮮近代文学の祖」と評価される作家であると同時に、19年の三・一独立運動でも活躍した独立運動家だったが、のちに日本の統治に協力することを民衆に呼びかけるようになる。現在、李光洙は朝鮮を代表する作家にして親日派という評価の難しい人物になっている。

 45年の終戦により朝鮮半島は日本の統治から解放され、48年には韓国と北朝鮮に分断して独立を果たす。

 韓国では建国直後の48年9月に「反民族行為処罰法」が成立、細かな基準は拙著『親日派─売国と愛国の韓国史』(中公新書)に詳しいが、植民地支配に積極的に協力した親日派を絞り込み、処罰して国政から排除しようとした。ところが、親日派は誰一人として処罰されなかった。初代大統領・李承晩が反民族行為処罰法を廃止したからだ。李承晩自身は非転向を貫いた独立運動家であり、強い反日感情の持ち主だった。

 だが、親日派には国家運営に不可欠な人材も多く、特に朝鮮総督府の元警察官は、北朝鮮や共産主義者から国内の治安を守るのに必要不可欠だった。李承晩は北朝鮮や共産主義から韓国を防衛するため、親日派を政府、警察、軍の要職に起用した。

 この傾向は朴正煕、全斗煥の権威主義政権にも引き継がれ、87年に民主化されるまで韓国で親日派問題はタブーとなった。植民地支配の協力者だった親日派は、反共を掲げる権威主義政権によって処罰を免れ、韓国社会の中枢を占めたのだ。

 結果、韓国では80年頃から「独立運動をすれば三代が滅び、親日をすれば三代が栄える」という自虐的な言葉が広がっていった。


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