進む親日派清算と
政治的カードへの変容
民主化後の90年代に入ると、次の二つの目的から親日派をしっかりと処罰すべきとの議論が本格化した。
一つは、独立運動家やその子孫が解放後の韓国社会で十分な社会的地位を得ていない反面、親日派とその子孫は富を得ているという歴史の不条理の克服だ。民族のために頑張った独立運動家が報われず、民族を裏切った親日派が私腹を肥やしている状況に多くの国民が憤っていた。
もう一つは、韓国の民主主義を抑圧し続けた過去の権威主義体制を清算するためだ。90年代の韓国政治は民主化運動にルーツを持つ進歩派が主導。民主化以前の権威主義体制は批判対象となり、権威主義体制下で社会の中枢を占めた親日派は「民主化を遅らせた要因」「民主主義の敵」と見なされるようになった。
この過程で親日派扱いされるようになったのが朴正煕元大統領だ。彼には植民地時代に満洲国軍の軍人だった経歴があるが、目立った対日協力の事実はなく48年の反民族行為処罰法の対象にもならなかった。
しかし、まさに民主主義の敵として大統領時代の権威主義体制が批判される中で、植民地時代の経歴も親日派であるとして問題視され始めたのだ。
2003年に進歩派の盧武鉉が大統領に就くと親日派清算が一気に進む。04年に「日帝強占下反民族行為真相糾明に関する特別法」、05年に「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」が成立。前者は政府が親日派リストを作成・公表する一種の名誉刑で、朴正煕をリストに含めるかどうかが争点の一つになった。後者は主に(前出の)李完用ら朝鮮の保護国化と植民地化に協力した売国奴の子孫から財産を没収するもので、今年6月に公布された「親日財産帰属法」はこの特別法を約20年ぶりに復活させたものだ。
盧武鉉政権期のこれらの特別法は野党ハンナラ党(現・国民の力)の激しい反発の中で成立した。保守派のハンナラ党は朴正煕や全斗煥の権威主義政権の流れを汲む政党であり、当時の代表は朴正煕の娘である朴槿恵だった。進歩派の盧武鉉政権にとって親日派清算は歴史問題の解決であると同時に、保守派を攻撃する政治的カードでもあったのだ。
その後、韓国で進歩派と保守派の分断が深まる中で、親日派清算は歴史問題というよりも進歩派が保守派を攻撃する材料としての意味合いが強くなり、特に文在寅政権期はこの傾向が顕著だった。李在明政権は文在寅以来の進歩派政権だが、保守派を刺激する親日派問題には踏み込まない方針を取ってきた。親日財産帰属法の制定により今後この方針がどう変化するのかは不透明だ。
ただ日韓関係の視点で重要なことは、親日派問題はあくまでも韓国内の歴史・政治問題だということだ。確かに親日派を生み出したのは日本の植民地支配だが、解放後に親日派が社会の中枢を占めたり、その清算と権威主義体制の清算が結び付いた過程に日本は関係していない。
親日派の「日」は日本を指す。日本と関係ないにもかかわらず韓国で政治的カードとして親日派清算が使われる状況は、日本側から見れば気分の良い話ではない。韓国側は親日派の名称を変更する時期に来ているだろう。一方で日本側も、韓国の歴史問題を十把ひとからげに「反日」と決めつけずに、冷静に隣国の動きを見極めることが重要となる。
