2026年9月13日(日)

つくりびととの談い

2026年9月13日

 ネオンサインのメッカといえば、赤い灯青い灯の大阪・道頓堀とブルー・ライトのヨコハマである。

 ネオンクルーズも行われるこの二大聖地に、奇しくも同じタイミングで大きな変化が起こったのは、2014年のことであった。

 この年、大阪の象徴・道頓堀のグリコサインがネオン管からLEDに切り替えられ、横浜のシンボル・ホテルニューグランドの屋上看板が40年ぶりに再点灯されたのだが、こちらは時代の趨勢に抗うように、再びネオン管で描かれたのだ。

 製作したのはスマイルネオンの代表、高橋秀信さん(61歳)である。

「赤ちょうちんと通じるものがある」。高橋秀信さんはネオンの魅力をそう語る。ネオンの明かりは空間ににじみ出る。その温かさに人々は誘われていく(写真・大西史晃  以下同)

 「ネオン管にするかLEDにするかはニューグランドさんが決めたそうですが、お話をもらった時は嬉しかったですね。いまでも山下公園を散歩しながら、おっ、切れてないなって確認してますよ」

 高橋さんはネオンを使ったアート作品も数多く手掛けているが、あくまでもネオン職人を名乗る。

 職人とアーティスト。そこに、どんな違いがあるというのだろうか。

 高橋さんがネオンに惹かれるようになったきっかけは、横浜の本牧エリアにある。10代の終わりに車の免許を取ると、仲間と連れだって夜の本牧へと繰り出した。

 「当時はもう米軍施設はありませんでしたけど、リンディというアメリカンなディスコとか、リキシャ・ルームやアロハ・カフェ、イタリアン・ガーデンなんていう有名なバーやレストランがあって、ものすごくワクワクしましたね」

 麦田のトンネルを抜けると、その先は異界だった。本牧通りを愛車で流しながら、道の両側を流れていくネオンサインの色彩に魅了された。

 「年上の女性に憧れたりして……。ホント、青春そのものでした」

 ネオンへの思いを決定づけたのは、1989年のニューヨークへの旅だった。日本とはまったく異なるネオンの使われ方に、心を奪われた。

 「グローサリーという、日本のコンビニみたいなお店のATMという文字がネオンだったり、街中いたるところで当たり前のようにネオンが使われていて、もう最高でしたね」

 帰国すると、当時勤めていた看板屋の先輩に紹介を頼んで、蒲田のネオン職人のもとへ弟子入りをする。20代半ばのことだった。


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