2024年11月22日(金)

あの負けがあってこそ

2014年9月10日

 時計の針が午後4時半を指す頃、「5時になりますと海の家が閉まりますので、お早めにお上がり下さい」という放送が流れた。

 「当時の海水浴客はほとんどが海の家を利用していましたので、その放送が流れると海から人が一気にいなくなって海の家に戻るのですよ。そうすると親や周囲の心配をよそに夢中で砂遊びをしている迷子が発見されたりするのですが、5時を過ぎてもその子どもの姿は見当たりませんでした」

 過去こうした場合、道路の方まで親を探しに行っていたり、さらには駅まで行っているケースもあったが、緊急事態のために救助員は全員残り、西浜SLSCのクラブ員を加えた全員が横に並び、大きな網を持って浅瀬から大人の胸くらいの深さまでを鵠沼海岸に向かって歩いた。その距離約2km。もしも溺者がいれば網に掛かるはずだ。皆必死だった。

 「原始的な方法ですが、そんな発見の仕方もあるのです。それでも見つからなかったので、我々は逆に安心したのです。これは溺水ではないと。でも万一に備えてクラブに泊まろうと話し合っていたところへ、浜辺をジョギング中の方が『波打ち際に人が倒れている』と報せてきたのです」

人生を変えた「死」

 報せを受けた小峯は最初に現場に駆け付けた。母親から聞いていた特徴と同じである。浜に引き上げ、上向きにした時に水着に刺繍された名前が確認できた。やはり、探していた子だった。

 意識も呼吸もない心肺停止状態。救命救急の最前線に臨んで小峯の頭は真っ白になった。溺者発見から、周囲の観察、気道の確保、人工呼吸、心臓圧迫等、一連の訓練は身体が覚えるほどに積んでいたのだがパニックに陥った。

 「でもそれも一瞬でした。こちらも必死でしたからね。すぐに気道を確保しようとしたのですが、口の中に砂が詰まっていて人工呼吸をしようにもすぐにはできない状態でした。我々が習っていたことが実際の現場ではすぐには使えず、気道内に詰まった異物や海水を横向きにして吐かせたり、ときにはマウスtoマウスで吸っては吐き、吸っては吐きながら、心臓圧迫を繰り返しているうちに救急車が来たので、僕も同乗して人工呼吸と心臓圧迫を繰り返しながら救命センターに搬送しました」

 救命センターに到着後も救急隊員と交代で人工呼吸と心臓圧迫を繰り返した。

 医師から「どれくらい心肺蘇生をしているのか」と聞かれ、小峯は「40~50分じゃないか」と答えた。すると医師は救急隊員や婦長に確認し「この時間を死亡時刻としよう」と言って、ハートレートモニターのスイッチを切り、「もう止めていいよ」と小峯に告げた。


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