「君はレスキューを学びに来たのかもしれないが、ライフセーバーはパーフェクトな技術を備えていながら、いかにその技術を使わないようにするかが重要で、それこそが真のレスキューなのだと言われた言葉が心に響きました。スポーツであれば練習で積み重ねたことをいかに本番で発揮するかが問われますが、ライフセービングは、練習したことをいかに使わないようにするかが大事だと会長は仰るのです。死を回避する。危険を未然に防ぐ。ライフセーバーにとってそれは究極の追求です。僕はオーストラリアに最新のレスキューを学びに行って、レスキューしないことを教わったのです。つまり救うのではなく守ることが大切なのだということです」
水難救助の先進国では、肉体的、技術的なハード面よりも、波を見極めること、風を読むこと、人の動きを把握することなど、観察する目や察知する力、想像力というソフト面を鍛えることが事故を未然に防ぐことに繋がると教えられる。さらに言えば感覚を研ぎ澄まし、第六感にまで高めろと言うことである。これらの感覚を整えた人間が技術を習得することによって、真のライフセーバーになれるのだと徹底的に指導を受けた。
当時の日本では何人の人を救ったのかが優れた者の証しでも、オーストラリアでは未然に事故を防げなかったことの不名誉の証しという逆の意味になるそうだ。
さらに小峯はこの水難救助先進国の地でスポーツとしてのライフセービングにも出合っている。その圧倒的な躍動感を前にして言葉を失った。
「レスキューは本来ストイックで専門性の高いものです。しかし、勝利の先に救う生命があるという考えのもとで、鍛え上げられた技術と身体でみんなが競い合っていたのです。19歳だった僕はその大会を観て、感動で胸が高鳴りました。自分なりに教員になるために学んできたこととライフセービングのフィロソフィー(哲学)が合致したのです」
スポーツとしてのライフセービングは全ての種目がレスキューを想定し、その技術力を高める為に競われるが、勝利することだけが善という文化ではない。レスキューの活動とスポーツとしてのライフセービングは、生命尊重の理念に帰結していなければならないからだ。競技を追求する過程で培われる技術と体力と精神力は、事故の現場では溺者を救う力となる。だから勝利の先に救う生命があるとライフセーバーは言うのである。
現在、日本では競技大会に出場する条件として、「監視、救助活動に従事すること」という規則が設けられている。奉仕の精神なくしてライフセービング競技はありえないということだ。