2024年7月16日(火)

あの負けがあってこそ

2014年9月10日

様々な職業でライフセービングの
フィロソフィーを活かす

 オーストラリアから帰国後、小峯は湘南を中心とする日本ライフガード協会の創設メンバーとなり(1991年「日本サーフ・ライフ・セービング協会」と統合し「日本ライフセービング協会」として現在に至る)。さらにオーストラリアで学んだライフセービングを日本にも広めようと日体大にライフセービング部の前身を作った。

 当初オリンピック種目でもない、勝利を目的としない競技が日体大の中で認められるのか疑問視する声もあったが、創部から5年後、大学に助手として残った小峯は、監督として100名超の部員を擁する学友会の運動部に昇格させ、1990年代の半ばには300名を超す日体大最大級の部に育て上げた。

 そして名実ともに日本のライフセービング界をけん引する存在として幾多の日本代表を輩出していった。

 「ライフセービングを国内に普及させたいと思っても、僕個人には限りがあります。そこで自分の職務である大学教員としてライフセービング部を作り、将来体育の指導者になる部員にこのフィロソフィーを託せればと考えたのです。卒業後、彼らは全国の学校に赴任していくわけですから、その教え子たちによって、より多くの生命が救われ、さらに生命を尊重する教育の輪が広がっていくと考えました。限られた時間の中で広めるには、自分の職務を活かすことが一番の近道であると気づいたのです」

 その後、他の多くの大学にもライフセービング部が広がり、全日本ライフセービング選手権とはまた違った勢いでインターカレッジ(全日本学生ライフセービング選手権)が盛り上がりを見せた。

 海外ではそれぞれの地域に根差したクラブとして発展していった経緯があるが、日本のように高等教育にクラブが設立、発展していったケースは珍しく、教育機関の中で広まってゆくことは、人間教育(道徳教育)に活用できると考える小峯が目指していた形でもあった。

 「ライフセービングを狭義にとらえれば水辺の安全を守ることですが、海から社会へとピッチを変えれば4シーズン様々な形で社会に貢献することができて、ライフセービングへの社会認知は広がり、昨今の自然災害や、防災・減災の観点からの求めもより深くもなっていくと信じています」

 「今日に至るまで、全国の教え子たちは教員以外に、救命士や看護師、弁護士、検察官、警察、消防、海上保安官など、様々な職業に従事しています。そして、その職業を通じて社会という荒波の中で、どのような形でライフセービング・フィロソフィーを活かしていくか、そこが重要だと思っています。職業についてからが真のライフセービングだと思っています」

 それは人としてどうあるべきか、という問いかけでもある。


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