2024年11月22日(金)

Wedge REPORT

2014年10月21日

男性の「想像力の欠如」「無関心を継続してきたこと」が女性を終活へと誘った。妻と一緒に墓に入りたいなら、今、男性がすべきこととは何か。

吉永みち子(ノンフィクション作家)
1950年生まれ。東京外国語大学卒業。
85年、「気がつけば騎手の女房」で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。テレビコメンテーターとしても活躍。

 女は終活にハマっているわけではなく、これまでと同じように目の前に現れた課題に取り組んでいるだけ。団塊の世代の女たちは、ひと世代前の女たちが、子どもが独立した後の50代で母親としての役割を失って「空の巣症候群」という状態に陥ることを見てきた。

 男たちはそのころ、まだ会社の肩書きという「固有名詞」で生きることができたが、女たちは、ひとりの人間としてどう生き切るかを考え始めた。男よりひと足先に個人としての自分はどう生きたいのかと考えた女たちが、60、70歳を迎え、今度は自分らしい生き方の「終わり」を考え始めた。

 私たち団塊の世代の女は、「一番現実にムカついてきた世代」。ずっと、心のどこかで違和感を持ちながら生きてきた。学生時代は、戦後教育のもと「男女平等」と教えられてきた。でも社会に出てみると、それは嘘で、働き口はなく、多くの女は夫の家に入った。

日々1人で決める女と決められない男

 男は、なぜか自分の最期は妻が看取ってくれると思っているみたい。平均寿命も女の方が長く、男には死の直前も死後のことも人任せで現実感がない。だから、なぜ女たちが自分の人生の終わり方や死んだ後のことを考えるのかなんて理解できないんだと思う。

 女がスーパーの買い物で悩む姿を「些細なことで」と、男は馬鹿にしてきた。その場で安い材料を発見し、組み合わせ方や無駄のない利用法を考え、食卓に完成品を並べるまで、すべてを実は自分でゼロから決定しているのに、「俺たちはもっと大きな仕事を動かしている」と。でも、それは会社の方針に従っているだけ。自分では何も決めていなかったことに気がついていない。錯覚から覚めると何もできなくなっている自分に気づく。


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