2024年7月16日(火)

サイバー空間の権力論

2014年12月5日

感情に抗うことは難しい

 このように、人の感情は今や選挙においても重要なテーマとなっている。その根底にある問題はすなわち、人は理性的であるよりも感情的な生き物だ、という認識である。ハイトは、人間は理性的ではなく、むしろ直感が重視され、理性とは直感が感じた感情を正当化するための道具であるとまで主張する。すると今や、人の理性に訴えるよりも感情に訴えた方がビジネスであれ政治であれ、有効であることになる。そして人は理性的に考えようと思っても、水面下ではむしろ感情に左右されており、理性的であることよりも感情を優先してしまう、あるいは理性的であると思っていることが、実は感情的な発露であることに気づくことができないのだ。冒頭のフェイスブックの感情操作実験からわかるとおり、ソーシャルメディア時代においては、より感情的なものに人は触れやすい環境が構築されているからこそ、感情は操作対象になる。

 こうした現状を批判するのが、20世紀を代表するドイツの哲学者ユルゲン・ハーバーマス(1929〜)の弟子でもある、カナダの哲学者ジョセフ・ヒース(1967〜)である。彼は最近邦訳された著書『啓蒙思想2.0』(栗原百代訳、NTT出版、2014年)の中で、感情に支配され、明らかな事実にも騙されてしまう現状を「ウンコな議論」にあふれているとまで言い切る。明らかな嘘であれ、人はそれを大真面目に、何度も繰り返し聞いていれば、理性とは別の感情がそうした議論を正しいと判断してしまうというのだ。

 18世紀の西洋社会が求めた啓蒙思想は、物事をひとつずつ推論しながら抽象的な思考をする能力を重視した。確かにそれは我々の理性であるが、理性的な思考は速度が遅く、高度な思考は誰にでもできるものではない。対して人にはもうひとつ、複雑な現象をひとつに瞬時にまとめる能力もある。それは無意識や連想に頼るものであり、問題解決をひらめくことがある。これが直感であり、もうひとつの人間の能力だ。

 直感はひらめきを生むもので重要であるが、直感は感情と同じく他人の介入を導きやすい。ヒースはこの2つの能力の差異を認識した上で、適切に理性を利用する方法を構築しようと、熟議の重視等を包括したスローポリティクスを提案している。ただしそれらは抽象的な水準で述べられるものであり、その具体的な方法がヒースから語られることはない。それも無理はない、実際に感情や直感にアクセスする方法が様々な角度から研究されている現状においては、それらに抗うことは困難を極めるからだ。

我々に求められることは何か

 言うまでもなく、ビッグデータや人工知能等を用いることで、近い将来、人間の行動原理を理解した上で行われる様々な感情操作が行われるであろう。そうしたものが人々の生活を向上させることもあるが、時に政治的な動員のような意図的な介入が行われることも予想される。その時我々はどのような方法で自身の感情と向き合うべきなのだろうか。我々は理性を適切な仕方で用いることができるようになるだろうか。あるいは感情もまたひとつの情報として処理され、利用されるのであろうか。近い未来そうした問題がどのような形で現れるかは筆者もわからないが、少なくとも感情をめぐる問題の所在を理解することが、差し当たって必要であることは間違いないだろう。

  
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