海部に限らず、総辞職に追い込まれた福田赳夫・康夫父子、あるいは、勝算なきまま不本意な解散に追い込まれていった宮澤喜一(内閣不信任案の可決)や麻生太郎(任期切れ間近)など、多くの首相の末期は党内で勝つ見込みが立たないために、今回のような解散が打てない。
弱体化した派閥
カネとポストは総裁に
55年体制における自民党の主戦場は、社会党との戦いではなく派閥争いだった。しかし今、自民党総裁の立ち位置は大きく変容している。
さまざまな制度改正と環境変化が、派閥の弱体化と総裁と党本部の権力強化をもたらした。参議院の恨みを衆議院で晴らすという曲芸をやってのけた小泉純一郎首相の「郵政解散」(05年)がその真骨頂だが、かつての総裁に比べ圧倒的に党内を掌握しやすくなっているために、解散が打ちやすくなっている。
「自民党をぶっ壊す」
そう叫んだ小泉純一郎がぶっ壊したのは、党ではなく派閥だった。森派(現・町村派)に属しながら「周辺居住者」と呼ばれ、派閥の領袖ですらなかった小泉が、改革者のイメージを掲げて総裁選に勝利したのは2001年。小泉は党役員人事でも組閣でも派閥推薦を徹底的に排除し、「一本釣り」の多用で総裁に権力を集中させていく。
竹下政権以降、4大派閥のうち総裁を出さない3派閥が党三役を分け合う慣行が続いていたが小泉は無視した。なかでも、小泉が狙いを定めていたのは、当時最強の橋本派(竹下派の流れを汲む。現・額賀派)だ。なぜ小泉が郵政改革と道路公団改革にこだわったのか。それは、自民党の保守本流が既得権益を積み上げてきた分野だったからと見れば理解しやすい。
かつて派閥には、「資金援助」「選挙応援」「公認獲得」「閣僚推薦」の4つの大きな機能があった。
94年の政治資金法改正で議員や派閥への企業献金は厳しくなり、政党助成法で国庫から交付金が注入される党本部の財政は格段に良くなった。各議員の政治資金は、派閥の依存度が下がり、党本部への依存度を強めていく。
小選挙区導入も大きな影響を与えた。同じ選挙区に同じ党に所属するライバルはいなくなり、派閥領袖の応援はさして意味をもたなくなり、党本部からの公認さえ得られれば自民党の地方組織と支援団体のサポートを独占することができるようになった。首相の人気だけで当選する○○チルドレンも大量に生まれる時代となった。