2024年11月25日(月)

Wedge REPORT

2014年12月16日

アベノミクス解散はいかなる条件を整えていたのか。自民党歴代首相の「解散史」から読み解く。

 「大義がない」─メディアに散々そう書きたてられながら、なぜ安倍晋三首相は鮮やかに「伝家の宝刀」を抜くことができたのか。野田佳彦、麻生太郎と歴代首相の結末を思い出していくと、「首相の大権」であるはずの解散権を使いこなせた首相のほうが少ないことに気づく。

議長が解散詔書を読み上げると、失職した議員たちが万歳を三唱する(AP/AFLO)

 典型は1976年の「三木降ろし」である。自民党内の長老たちを中心とする大派閥連合が三木武夫首相を引きずり降ろそうとした。「挙党体制確立協議会(挙党協)」なる組織まで結成され、与党の7割に背を向けられた三木の政権運営はことごとくつまずいていく。背景には、その年の2月に発覚したロッキード疑惑を「徹底解明する」と言った三木の約束があった。田中角栄の金権体質に対する世間の批判をかわすために、クリーンなイメージのある三木が担ぎ出されたのだが、文字通りの「徹底解明」は許されなかった。

 結果、三木は内閣改造も解散もできず、戦後初、かつ、現在に至るまで唯一の任期満了選挙に追い込まれていく。三木は解散のための閣議を招集しようとしたが、派閥領袖の意向を受けた閣僚たちにボイコットされてしまった。総選挙で自民党は過半数の議席を取ることができず、三木は退陣した。

 何の因果か。その15年後の91年、三木を敬愛する海部俊樹首相が「海部降ろし」に遭うこととなる。三木同様、小派閥から担がれた首相だったが、政治不信が高まるなか、その清新なイメージで90年の総選挙を大勝に導いていた。しかしその後、目玉の政治改革関連法案が審議未了廃案となり、海部は「重大な決意で臨む」と発言。解散と受け取った各派閥が「海部降ろし」を始めた。支えてきた竹下派が主導して、海部は内閣総辞職に追い込まれる。

 これら「解散できなかった首相たち」からわかるのは、解散権を実行するためには、「選挙に勝つ」見込みだけでなく、「首班指名される」見込みがなければならないということだ。「野党に勝つ」に加えて「党内で勝つ」自信があることが、解散の必要条件なのである。


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