2024年4月26日(金)

世界潮流を読む 岡崎研究所論評集

2015年1月27日

 1月7日付の米ワシントン・ポスト紙 と英フィナンシャル・タイムズ紙が、それぞれ社説を掲げ、今回のパリ銃撃事件は、表現の自由に対する挑戦であり、イスラム過激派の脅しに屈することなく、表現の自由を守るべきである、と述べています。

 すなわち、西側のいくつかの出版社は、近年イスラム過激派の標的になることを避けるため、自己検閲をするという恥ずべきふるまいをした。シャルリー・エブドは正反対のことをした。

 今回の銃撃は、西側の表現の自由の擁護に対する直接の挑戦である。民主主義国のメディアは、暴力によって表現の自由を抑圧しようとするイスラム過激派などの脅しを排除しなければならない。

 我々はこれまで、多くのイスラム教徒が差別に苦しみ、ポピュリストの政党の扇動の目標にされてきたフランスのような欧州の国でイスラム教徒を不当に挑発したり、怒らせたりするような表現には反対してきた。しかしそれは、検閲を、まして暴力を正当化するものではない。

 イスラム国で2人の米ジャーナリストが処刑され、金正恩を風刺した映画の上映に対して北朝鮮がサイバー攻撃を行ったことなどで、自己検閲が強化されたり、イスラム過激派の報道や批判が制限されたりすることは許されない、と米ワシントン・ポスト紙は述べています。

 一方、英フィナンシャル・タイムズ紙は、

 今回の襲撃事件は計算された脅しであり、あらゆる民主主義社会の柱である表現の自由に対する攻撃である。それは自己検閲をもたらそうとする狡猾な手法であり、断じて非難されなければならない。

 今回の事件は、信仰と表現の自由の間の対立を拡大させようとする、新たな陰険な一歩である。最近のシドニーやオタワの事件は「一匹狼」の仕業であったが、今回の襲撃が計画的で、犯人が自爆テロをせず、逃走したことは、今までとは違った手口である。

 フランス当局は、犯人を捜し出し、裁判にかけなければならないが、それより重要なことは、政治家と国民がフランスの核心的価値を守り、盲目的復讐は避けつつも暴力に屈しないことを明言することである。いかなる民主主義社会においても、宗教的信条を揶揄する場合の分別と妥当性につき洗練された議論をする余地があるべきである。


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