「2010年の世界選手権で初めて日本代表に選ばれた時は嬉しかったのですが、日本代表のユニフォームを着るということは、日の丸を背負うという重みがあります。嬉しかった反面、自分でいいのだろうか……。そんな思いもありました。でも、代表に選ばれたからにはそれに恥じない選手にならなければいけない。絶対になってやろうと決めました」
以来、その思いを胸に自分が変わっていくことを自覚していった。
おてんばでスポーツ好き
厳しい門限と新聞配達
土田真由美、車椅子バスケットボール日本代表。
土田真由美さん
父親はラグビー、母親は陸上とバスケットボール。土田はスポーツが得意な両親に似て小さい頃から活発だった。小学生の頃はチャンバラが好きで棒を持って本棚からジャンプ! その拍子に蛍光灯を割ってしまい、自分もガラス片で怪我をして父親に叱られながら病院に運ばれるような、いわゆるおてんばだった。
父親とキャッチボールをするのが好きで、学校ではバドミントンやバトン部にも所属していた。
なぜかバドミントンのガットが2カ月に1度くらいの間隔で切れてしまい、そのたびにスポーツ店に連れて行ってもらっていたのだが、その頻度があまりにも多く、おてんばはここでも両親に叱られていた。
「小学生の頃はバトミントンやバトンなどをやっていました。父親とキャッチボールをするくらいですから性格的には家でおとなしくしているタイプではありません。これっ! という特別好きなスポーツはないのですが、身体を動かすことが好きなので、いろいろなスポーツをほどほどにやっているような子でした」
おてんばだった土田は、中学進学後は好きな運動部にも入らず、学校が終わるとまっすぐに家に帰っていた。スポーツが好きなのになぜ?