――中国の北朝鮮国境付近には、多くの朝鮮族の方々が住んでいるわけですが、その人たちにとって北朝鮮の存在とは?
米村:同じ朝鮮族の方々からすれば、彼らが文化大革命の時のような生活をしているので、懐かしいけど、可哀想という人が多いですね。だから一生懸命支援している方々もいます。ただ、苦難の行軍、そしてたくさんの脱北者が出た時代からもう25年も経つので、支援疲れというのでしょうか、助けても助けてもキリがないという気持ちもあるようですね。
――政府関係者や一般住民も副業をしなければ生活できず、中国に憧れを抱いている北朝鮮内で、金正恩さんがトップになったことで変化は見られますか?
米村:結論から言えば、本質的にはそれほど変化していないのではないかと思います。たとえば金正恩さんがトップに立ってすぐに手がけたものに経済改革があります。
実はもともと、北朝鮮国内で市場経済を研究していないわけではありません。アメリカやカナダからの招きに応じて経済官僚を送ったこともあります。自分の目で見たことで記憶に残っているのは、金正日さんが亡くなった時に、海外在住の北朝鮮のエリート層が平壌へ帰るため、北京空港に大挙して押し寄せた時のことです。その様子を見に行くと、40代くらいの北朝鮮エリートが大量の教科書の束を抱えていました。なんとその中には、アメリカの経済学者クルーグマンの教科書があったんです。
金正恩体制が本格的にスタートした12年5月頃に始まった経済改革の話に戻ります。特に重要なのは農業改革でした。もともと北朝鮮の農場は基本的に全て協同農場です。1000~2000人規模の人たちが一つの農場で働いています。それぞれが数十人規模の「作業班」に分かれ、農作業に従事しています。そして収穫した生産物は全ていったん国家に納めた後、決められた分が農場員たちに分配されるという仕組みです。
このやり方では自分の田畑を持ち、創意工夫して収穫量を増やしたり、高値で売れそうな作物を狙ったりする個人農業に比べ、やる気が出ませんよね。そうした問題意識は北朝鮮にもあって、農場員の「やる気」アップを狙って「分組管理制」と「莆田担当制」といった仕組みが導入されました。「分組管理制」は、おおざっぱに言えば数十人規模の「作業班」の下に家族単位の分組を置き、その分組で農作業をすることです。「莆田担当制」は、農地の一部をそうした分組に割り当て、担当を決める仕組みです。つまり、協同農場という大枠の仕組みは崩さずに、でも家族ごとに担当する田畑を決め、「自分の農地」といった感じを出して、「やる気」を出させようという政策でした。一部では取れた作物の6~70%は自分たちのものにできるという仕組みも導入されたとされています。