2024年11月25日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2015年12月20日

名家の儒教的家訓と抗日運動

 9月11日 慶州は街全体が世界遺産である。新羅時代の王家の古墳群が並んでいる大陵園を歩いているとなぜか懐かしい感じがする。慶州は三方がなだらかな山に囲まれて、いにしえの奈良の都もかくやと想像する。慶州博物館で新羅・百済時代の仏像を見る。日本の仏像の源流なのであろう穏やかな容貌だ。

慶州の大陵公園には新羅時代の王朝の古墳群が点在

 慶州には李氏朝鮮時代に建てられた藩校がある。当時の国学であった儒学を学んでいたのである。李氏朝鮮の時代には両班(ヤンパン)と呼ばれるエリート階級の子弟が儒学を学んで科挙の試験を経て高級官僚となっていた。この慶州の藩校からは科挙の試験でトップとなった秀才が何人も輩出されたという。

慶州の藩校、李氏朝鮮時代には国学である儒学の最高学府であった

 この藩校は慶州の名家が寄付して設立された。その名家の逸話が展示物で紹介されている。家訓として「十里四方に困窮する民を在らしめず」、つまり自分の領地の農民が豊かに暮らせるように治めるべきという意味のようだ。ある時、飢饉で困窮した近隣の農民が盗賊集団となって名家の穀物倉庫を襲ったが、そのとき当主は「乱暴することはない。必要なだけ穀物を持って行きなさい」と諭したという。

 そこまでは“なるほど”と展示物を見ていたが、その名家は日韓併合以降の朝鮮社会において密かに私財を投げ打って朝鮮民族独立運動家たちを支援したと唐突に書かれている。独立運動支援の段においてはまったく具体的記述がなくいつ、どこで、だれを支援したのか不明である。極悪非道の大日本帝国の支配に抵抗した崇高な精神のみが喧伝されている。

 実話であれば歴史的に興味深いエピソードなのであるが、残念ながら客観的な裏付けが何一つなく、とってつけたような反日教育資料としか見えず、もやもやとした不快感が残った。


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