「かくかくしかじか」と経緯は省略するが、オペラの原作と脚本を書いた。私は、万葉集の研究者だから、論文やエッセイは書いても、「作品」を書いたことは、ない。製作・総指揮のブルース・R・ベイリーさん(日本ロレックス社長)、監修の山田法胤〔ほういん〕さん(薬師寺管主)、芸術監督の松下功さん(東京藝術大学教授)と話し合って、テーマは「遣唐使」ということになったが……はて? どうしよう!
考えてみれば、私は劇作家ではないのだから、なるべく史実に基づく内容にした。今は、われわれは遣唐使というと華やかな活躍のみをイメージするのだが、当然、遣唐使を送り出した家族もいたはずである。実は、万葉集の巻9には次のような歌が収められている。
旅人の宿りせむ野に霜降らば
我が子羽ぐくめ天〔あめ〕の鶴群〔たづむら〕
(巻9-1791)
これは、長歌についた「反歌」なのだが、ある遣唐使の母が「天を飛ぶ鶴たちよ。もし私の息子が凍えるようなことがあったら、天から舞い降りて来て、その羽で私の息子の体を温めてやっておくれ。私に代わって――」と鶴に訴えた歌である。私は、オペラとしては異例なのだが、能楽師の野村四郎さんに、その母の気持ちを劇中で舞ってもらうことにした。
そして、平群広成〔へぐりのひろなり〕という人物と、阿倍仲麻呂*との心の交流を中心に書くことに決めた。さきほどの歌は、天平5(733)年の遣唐使の母の歌なのだが、天平5年遣唐使は、まさに悲劇の遣唐使だった。第3船は、帰路、中国・蘇州を出航後、暴風雨に遭って、現在のベトナムまで流されたのである。なんと生き残ったのは、115名中たったの4人。その4人の生き残りのうちの一人が、平群広成であった。広成は、苦労を重ねてベトナムから長安に戻り、仲麻呂の助力を得て、国を経由して、無事に帰国を果たすことができた。その帰朝報告が、『続日本紀』に収載されているのである。仲麻呂はどんな思いで広成らを助けたのか、自分なりに書いてみた。
そんな史料を使い、1幕と2幕を書き上げ、今年の6月10日に奈良西の京・薬師寺で無事上演。好評を得て、なんとか及第点となったようだ。3幕と4幕は、来年の6月10日に、ロレックス・タイム・デイの第3回目の演目として、また薬師寺で上演されることが決定されている(遥かなる時を越えて オペラ『遣唐使~阿倍仲麻呂~』)。が、しかし……。1行も書けていない。困った!
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