エッセイ:食べて歩いて湯に浸かり
相生駅は、山陽新幹線全19駅・各駅停車の旅に出ようと決めたとき、ひと駅ごと路線図をなぞりながら、ぴりりと緊張がよぎった駅のひとつ。知っているのは、姫路駅と岡山駅の間にあることのみ。いつもならば旅が決まれば、あれもこれもあそこへもと、つい欲張るが、相生駅からどこへ向かうか、さっぱり思い浮かばない。名物・名所ははたしていかに。頼りにしたのは相生市観光協会から取り寄せた数枚のパンフレット。私の旅の参考書は、地元の冊子や地図が常。相生市全域地図の周囲に幾つかのみどころが紹介される中、日帰りでもゆっくりゆったり巡れるだろうと目に留まったのが、「相生市立水産物市場 魚稚」と「道の駅 あいおい白龍(ペーロン)城」。土地勘がないのを逆手にとり、あちらこちら貪欲に訪ねることをあきらめて、目途をふたつに絞り込む。
もとは漁村だった相生が造船の町に移り変わったのは、明治後期から昭和の終わり頃。現在も海辺には重機関連の企業が集中するが、今の町の顔は、相生湾で育った相生牡蠣と焼あなご。それから初夏を告げる「相生ペーロン祭」。殊に人が押し寄せるのは、相生牡蠣が味わえる冬場(11~3月)。
普通、牡蠣は食べごろになるまで2~3年を要するところ、相生牡蠣は種付けから身が育ち出荷に至るまで約半年と、驚くほど速い。それというのも相生湾が、山間部から栄養をたっぷり含んだ雨水が川を伝って注ぎ込む、養分豊富な漁場だから。1年で殻いっぱいでっぷり育つミルク色の牡蠣。なめらかなつやと弾力があり、加熱しても身が縮むことなく大きなまま。旨味と甘みが濃厚で、噛むほど口福に包まれる。
つい先ほどまで海の中で過ごしていたとわかるほど、まだみずみずしい地の魚や貝が並ぶ相生市立水産物市場。キンと冷えた冬空の下、野外のバーベキューコーナーで焼き牡蠣を堪能。
その後、市場からも湾の奥に小さく見える、道の駅 あいおい白龍城まで、腹ごなしに歩いて向かう。途中、旧市街地の古い街並みへも回り道。商店、床屋、銭湯、史跡、路地、神社、かつての賑わいの名残を景色の片隅に見つけながら、時間を気にせずのんびり散策。
夕暮れどきの旅の最後。あいおい白龍城の露天風呂から、空と海がオレンジに染まっていくのを見送りながら。また次の冬も相生で、なにに追われることのない1日を過ごしたいと思うのだった。