いよいよミャンマー(ビルマ)で政権交代が実現する。今月(2016年2月)1日に新議会が招集され、下院の正副議長が選出された。議長には昨年11月の総選挙で圧勝した国民民主連盟(NLD)の幹部でアウンサンスーチー党首の側近が選ばれ、副議長には少数民族のカチン人で旧与党から第一野党に転落した連邦団結発展党(USDP)の議員が就いた。2日には上院の正副議長の選出がおこなわれ、議長にNLD所属で少数民族カレン人の議員、副議長には少数民族政党の議員がそれぞれ選出される見込みである。これら両院の正副議長人事は、旧与党に影響力を持つ軍と、人口の4割近くを構成する少数民族への配慮を意識したバランス人事だとみなせる。
そして今月下旬には、上下両院議員で構成される連邦議会で注目の大統領が選出されることになる。憲法上の規定から大統領になれないNLD党首のアウンサンスーチーではあるが、連邦議会で6割の議席を握る同党の力を背景に、彼女の意向に従う人物が新大統領に就任することは間違いない。新大統領による組閣を経て、3月末には新政権が船出する。アウンサンスーチーが実質的な船長となるこの船が、荒波をどのように乗り越えて行くのか、国内外の視線が注がれる。
筆者はこれまで、日本でアウンサンスーチーに関する批評を聞く際に、少数とはいえ、事実無根の噂を事実だと信じ込んでいる人々と出くわしたことがある。日本人男性から個人的に聞かされた場合がほとんどだが、それが嘘であることをこちらが指摘しても、なかなか見解を修正してくれない場合もあった。ここでは、そうした噂話の代表的なものを3つ紹介し、事実無根であることを説明しておきたい。これはけっして、アウンサンスーチーへの批判を抑制しようとするものではない。彼女に対する評価は多様であって当然だと思う。しかし、噂や嘘の類を材料にして批判しても建設的ではないし、ミャンマーの発展に何ら寄与しないと思うので、ここでとりあげようと思った次第である。
英国に秘密資産があり、お金に困っていない?
この噂は日本でしか耳にしたことがない。アウンサンスーチーが英国人のチベット研究学者マイケル・アリス博士(故人)と結婚し、専業主婦として1970年代はじめから80年代後半にかけて英国のオクスフォードで過ごしたことは事実である。しかし、大学教員としての夫君の収入は限られ、生活は至って質素で、常に家計の維持に苦労したことは、近くで長期にわたり親しく接した在英日本人夫婦の妻がその回想録に詳しく描いている(大津典子著、『アウンサンスーチーへの手紙』、毎日新聞社、2012年)。当時の生活ぶりから判断して、彼女が英国で「秘密の資産」を潤沢に持つようになったとは全く考えられない。
筆者も1990年代に通算5回、オクスフォードのアリス博士宅を訪問したことがあるが、生活ぶりは平均的な英国の大学教員のそれであり、英国の集合住宅(フラット)自体が持つ日本より広い生活空間(専有面積)を別とすれば、贅沢さをうかがわせるものは何もなかった。
アウンサンスーチーはノーベル平和賞を1991年に受賞した際、約1億円の賞金を得ている。しかし、その賞金にしても、全額を奨学金基金としてロンドンの信頼できる大英図書館の司書だった女性に託し、ミャンマーからの留学生のために現在でも活用している。彼女の「秘密の資産」になっているわけではない。こうしてみてみれば、彼女が英国に秘密資金を持っている可能性がゼロであることがわかるであろう。