2024年11月21日(木)

Wedge REPORT

2016年4月20日

開沼 例えば、福島の農家が都会に直販しに行くと客に罵倒され、漁師さんが試験操業で魚が取れました、おいしいので食べてくださいと言ったら、毒売るなという電話が漁協に殺到する。地元のNPOが子供たちと一緒に国道6号線を清掃しようとしたら、子供を傷つける殺人者などという言葉を浴びせられる。(参考記事:「福島の被ばく報道はデマだらけ」

 地元を復興させようとする人々の行動を全否定する動きを取るのが、先ほど言ったカギカッコ付きの「支援者」です。この差別行為を不安寄り添いムラは看過するんですよね。法律家や学者が入っているはずなのに。

村中 ワクチンでも、「支援者」たちがある種の攻撃性を帯びています。実は、ワクチン接種後の症状から治った少女も、たくさんいるんです。けいれんや歩けないなどの重い症状でも、時間をかけて、大学入学などの生活の変化とともに良くなり、もう触れないでほしい、という感じの子たちがいます。(参考記事:Wedge4月号「暴走する大人と沈黙する子供たち 子宮頸がんワクチン"被害"からの解放」)

 しかし彼女たちは、それを言えません。今となってはワクチンのせいじゃなかったかもと思っても、口にすれば、ワクチンのせいと主張する「支援者」から攻撃されるからです。

 そうしているうちに、被害の存在が固定していくんですね。本来は疾患としてありえないハンスという疾患概念が、実体を帯びてくる。

開沼 原発事故後の被ばく問題の構造と同型です。多数の日常に戻れた人と、少数のそうじゃない人がいる中、後者に「支援者」が群がり冗舌に弱者としての権力を振るう。実状を知っている人が、いくらおかしくなっていると思っても、それを口外できない。

 不安当事者も、個別に話を聞くと現状への違和感は口にする。ただ、その人間関係で5年経つと、もう振り上げた拳を振り下ろせない状況に追い込まれている。周囲が説得しても聞かないので、多様性を認め合うと言えばきれいに聞こえますが、要は相手にされなくなる。そうなると自分たちは蔑まれているという感覚に至り、孤立化し、言説が過激になっていきます。

村中 子宮頸がんワクチンに対する過剰反応の中で、行き過ぎと思えるのが、子宮頸がんサバイバーやがんで家族を失った人への攻撃です。

 子宮頸がんは性感染症なので、男遊びしてなったとか、製薬会社からカネをもらってワクチンを勧めていると言いがかりをつけられ、誰も表に出なくなったと聞きます。最近の子宮頸がん予防キャンペーンは、検診は勧めるがワクチンは勧めないスタイルになりました。がんに傷つけられた人たちが、ワクチンを憎む人たちにさらに傷つけられ、声をあげられなくなっています。

 子宮頸がんの犠牲者は決して少なくありません。年間3000人が亡くなるだけでなく、毎年1万人以上が、前がん病変や初期で見つかったがんを取り除く、円錐切除という子宮の入り口を切り抜く手術を受けています。

 この手術は比較的簡単な上、子宮を失わずに済むので、ワクチン不要論者は検診と手術で十分と言いますが、円錐切除を受ければ流産しやすくなるし、性生活や妊娠に対して消極的になるなど、表に出ない深刻な問題がたくさんあります。また、がんに一度なれば、取り切れてないかも、再発するかも、という不安にも襲われ続けます。

 亡くなっても生き残っても辛いがん患者に接する機会の多い産婦人科医は当然、ワクチンに好意的な立場をとりますが、利益相反と言われ、世間から黙殺されています。ちなみに、ワクチンが普及すれば患者は減って産婦人科医の利益は減りますので、おかしな誹謗中傷ですよね。

※後篇はこちら

※関連コラム「子宮頸がんワクチンとモンスターマザー」はこちら
※関連コラム「自主避難したまま戻らぬ"ナチュラル妻"」はこちら

  
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◆Wedge2016年5月号より

 


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