オトナの教養 週末の一冊

2016年4月24日

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東嶋和子 (とうじま・わこ)

科学ジャーナリスト・筑波大学非常勤講師

元読売新聞科学部記者。フリーランスで環境・エネルギー、医療、生命科学、科学技術分野を中心に、科学と社会のかかわりを取材。主著に『名医が答える「55歳からの健康力」』(文藝春秋)、『人体再生に挑む』(講談社)など。新著に『水も過ぎれば毒になる 新・養生訓』(文春文庫)

 私事で恐縮だが、四年前に母が実家で亡くなったときは、家族や親族とごく親しい友人だけの控えめな通夜、告別式をおこなった。こうした「家族葬」が増えていると、葬儀屋に聞いた。母の遺骨は郊外の墓に入れたが、納骨堂に納める人もやはり増えてきている。

宗教や文化的背景で異なる葬い

 さらに、葬式をせず、火葬場に遺体を運ぶ「直葬」や、火葬したあと遺骨を引き取らない「0(ゼロ)葬」、遺骨を墓に入れず、海や山に撒いて自然に還そうという「自然葬」などが世間の耳目を集めている。

 また、異なる宗教や文化的背景をもつ人たちが土葬や鳥葬を求めたり、著者のように、新しく出てきた技術による「フリーズドライ葬」を求めたりするケースも今後は出てくるだろう。

 イスラム教では、信者は死んだら土葬することになっており、日本在住のイスラム教徒は、土葬禁止地域に指定されていない場所に埋葬墓地を求めてきた。しかし、国内では2カ所のみで、墓地不足が問題になっているという。

 こうした変化の最前線を紹介しつつ、著者らしく丁寧に考察を積み重ねていく。著者が東京財団で催した「生命倫理サロン」での開かれた議論の内容も反映され、異なる立場からの意見に目を見開かされる。

 まず、「死の迎え方」を扱う第一章では、延命治療の中止や安楽死を選ぶ自由はどこまで認められるか、認められるとしたらどのような条件が必要かを考える。

 この分野の先進国である米国やオランダ、フランスの事例を挙げつつ、日本の現状と比較しており、論点が明確でわかりやすい。

 米国やオランダでは、医師が死なせてあげる代わりに、死にたいと思ったら自分でそうするよう患者に致死薬を渡し、自己責任に委ねる場合があるという。

 実際は、致死薬を手にした後も、患者は緩和ケアなどを受け続けており、ワシントン州のプログラムでは、4割の人が致死薬を飲まなかった。

 つらくなればいつでも死ねる用意があると思えることが安心を与え、逆に、生きる気力につながることもある、と著者はみる。なるほどと共感した。

 患者が医師に死なせてくれと求める自由はあるが、実行させる権利まではない。同様に、望みどおりに葬ってくれと求める自由はあるが、はたしてどこまで認められるか。

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