2024年12月22日(日)

Wedge REPORT

2016年4月29日

男女雇用機会均等法が施行されてから今年で丸30年。当時に比べると女性の社会進出は格段に進みましたが、この時代を通じてキャリアを形成してきた女性たちは、一体どんな困難を乗り越えてきたのでしょうか。
Wedge5月号の特集「女はつらいよ 待機児童だけじゃない」では出産を機に正社員の椅子を捨て、育児に専念した女性の体験談を基に、「女性活躍社会」の課題を考察しました。約25年間、総合職として仕事と家庭の両立に取り組んできた女性から話を聞くと、女性が家庭生活と両立して企業で働き続けるためには、やむを得ず昇進を捨てざるを得ない現実が垣間見えます

 「環境は自分の手で変えられる。そう信じて働いてきましたが、ただ一つ昇進だけは捨ててきました。仕事と育児を両立していくためには、そこだけは割り切らざるを得なかったのです。女性の管理職はやはり少ないですし、育児をしながらそういった立場についている人は今もほとんどいません。会社にも女性の役員はいますが、結婚していても子どもはいない。私自身も47歳ですが、管理職にはなれません。これが47歳の男性だったら、きっと社内でも肩身が狭いことでしょう」


  山田志保さん(仮名、47)は、中学生と高校生の二児を育てながら、外資系メーカーの資材調達部で働く。新卒から約25年間、誇りをもって仕事に取り組んできたが、50代を目前に控えた今も管理職にはついていない。

 「子どもを保育園に入れる、入れられないということよりも、働き始めてからの方が100倍大変でした。子育ては物理的に手がかかりますし、ひとたび会社に来てしまえば一職業人としての責任を果たさなければなりません。今思い起こせば常に走っていたと記憶しています。通勤のときは、気持ちに余裕がもてずによく泣いていました。会社から帰るときも、早く息子に会いたくて、いつも走っていました。『何でこんな思いをしてまで、自分は働いているんだろう』と思ったことは、何度もありました」

 育児と両立するために強いられたのは長時間労働だ。山田さんは長く人事や総務の仕事に携わっていたこともあり、会社側が自分をどのように見ているかを客観的に考えることができた。2000年頃は、社内に「働くママ」はほとんどおらず、短時間勤務扱いを申請したのは会社で2例目だった。だが、周囲の目が気になってしまい、結局1日も短時間勤務をすることはなかった。

 働くママとして気遣ったのは職場だけはない。小学校のPTA活動でも、山田さんは周囲の反感を買わぬ策を考えてきた。

iStock

 「どうやって専業主婦の方と『共存』していくかを意識していました。仕事があるので、平日の父母活動には出られない代わりに『土日は何でもやります』という姿勢を見せていました。週末の運動会や納涼会、掃除や餅つき、父母のボランティアには主人と一緒に必ず顔を出しました。会社でも学校でもサポートしてもらえるような自分であることが重要です」


新着記事

»もっと見る