2024年11月22日(金)

野嶋剛が読み解くアジア最新事情

2016年5月6日

野嶋 フィリピンの民主主義は、遅れているのか、進んでいるのか、分かりにくいところがあります。

日下 フィリピンは圧倒的な格差社会で民主主義を実行しています。それは日本がこれから経験する世界です。経済的にネオリベの政策を取りながら、民主主義をやる。これはつまり莫大な格差を作りながら、平等の原則に基づく政治を続けるということにほかなりません。タイの民主主義はそれで破綻してしまいました。格差社会になるとどうしても人びとの不満や怨嗟に訴えるルサンチマンの政治が強まり、それに乗じる政治家も増えてくる。日本でもすでに始まっている現象だと思います。そんな問題に、フィリピンはずっと試行錯誤しながら取り組んできました。フィリピンは現代の民主主義の課題を良くも悪くも先取りして経験している「先進国」なのです。

 ピープル・パワーの意味も変わってきました。1986年の「ピープル・パワー1」では、民主主義の名のもとに連帯した国民が、超憲法的なデモでマルコス権威主義体制を打倒しました。でも、2001年にはエストラダを退陣させた中間層の「ピープル・パワー2」と、彼を大統領に戻そうした貧困層の「ピープル・パワー3」が連続して発動され、大変な混乱が生じました。その後、タイのこともありましたし、これ以上、デモで大統領を変えるとぐちゃぐちゃになってしまうというのが痛感されました。そのため、アロヨ政権の時には、国軍の改革派が何度もクーデター未遂事件を起こして、ピープル・パワーを呼びかけましたが、大きな運動にはつながらなかったのです。ただし、より良い政治を求めるピープル・パワーの精神が死んだわけではありません。 

 2010年大統領選挙におけるアキノの地滑り的な勝利は、投票によるピープル・パワーの勝利だと語られました。それまで制度と対立する形であったピープル・パワーが、制度内での改革を志向するようになったのです。その意味ではフィリピンの民主主義は成熟していると言えます。また、ピープル・パワーはマルコスやアロヨのような「国民の敵」がいないと発動できないので、今回はそうした局面にはならないでしょう。


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