2024年7月20日(土)

したたか者の流儀

2016年5月19日

 その他多くの作戦は想定外の展開となってしまった。その想定外は、俗にいう結果オーライかもしれないが、当事者たちは肝を冷やしたことであろう。肝を冷やすどころではなく死傷者が一日で数万人も出てしまったのが、Ddayということ。

 有名な想定外が二つ。空挺部隊を輸送機にのせて作戦予定地に降下するはずであったが、急ごしらえの操縦士たちで、極度に怖がり、本来であれば時速150キロ程度に減速すべきところを300キロで兵士を降下させてしまったのだ。というより、作戦地点を通過してしまうので降下せざるを得なかったのだろう。

 結果、空挺隊員は、四方八方に散らばって着地し、極端な例は海上に落ちて亡くなった兵もいた。この珍事が吉となり、ドイツ軍は、攻撃の的がその夜どこにあったのか、見当をつけることができなかったというのだ。

 もう一つ、九十九里浜がノルマンディーなら、千葉市に当たる町がCAEN(カン)だ。この大学街を一日で取ると豪語した英国軍のトップ、モントゴメリー将軍は何日たっても攻略できない。てこずったおかげで近在のドイツ軍がすべてCAENに集中してしまったようだ。

いいとこ取りのフランス軍

 その間隙をぬって主力の米軍は最速でパリに至ってしまったのだ。2カ月と数日でパリを窺うこととなった。ここまで、フランス解放の主役であるべきドゴール率いるフランス軍の話は聞かない。しかし、大政治家ドゴールだ。手をこまねいていたわけではない。アイゼンハワーを締め上げて、パリ入りはフランス軍が中心となることを約束させていた。

パリのドゴール像(iStock)

 8月25日にパリ入り、27日には、ドゴールは凱旋門からシャンゼリゼをパレードしてしまったのだ。その際、外国の特派員にたくさんの写真を取らせて世界中にばらまかせたのは有名な話だ。フランス軍がDdayからこの日までにとったリスクは、パリに残るドイツ軍の狙撃兵からの弾丸だけだったともいえる。


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