Wedge REPORT

2016年6月3日

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木村正人 (きむら・まさと)

国際ジャーナリスト

在ロンドン国際ジャーナリスト。元産経新聞ロンドン支局長。米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員、慶應義塾大学法科大学院非常勤講師などを歴任し、2012年独立。近書に『欧州絶望の現場を歩く』(ウェッジ)。
 

 ロンドン市長選では、劣勢を挽回するため保守党に雇われているオーストラリア人戦略家クロスビー氏が「私たち」と「奴ら」に分断するトランプ流選挙術を持ち込んだ。キャメロン首相は「カーン氏は過激派と反ユダヤ主義者と何度も発言する機会を共有している」と攻撃し、ゴールドスミス氏も大衆日曜紙メール・オン・サンデーへの寄稿で「私たちは本当に、テロリストを友人と考えている労働党に世界で最も偉大な都市を渡そうというのか」と主張した。

 カーン氏は元バス運転手の父とお針子の母を持ち、8人兄弟の5番目に生まれた。低所得者の公営住宅で暮らし、20代まで2段ベッドを兄弟と使っていた。労働党の下院議員になる前は人権派弁護士として活躍。カーン氏はイスラム過激派やテロリストら「好ましからざる人物」(同氏)を弁護したり、同じ集会に参加したりしていたことが保守党の攻撃材料になった。カーン氏がムスリムであることを深層心理の中で思い起こさせ、「イスラム恐怖症」をあおって有権者を分断する保守党の狡猾な選挙戦術だった。ロンドン市民はしかし、富豪を父に持つゴールドスミス氏よりも、「バス運転手の息子」カーン氏を自分たちの代表に選んだ。貧しくとも努力すれば国際都市ロンドンの市長になれる、2008年米大統領選でオバマ大統領が使った「Yes We Can」というフレーズになぞらえ、「イエス・ウイ・カーン」という新たなサクセス・ストーリーになった。

 米大統領選の共和党候補者選びで指名獲得を確実にした不動産王トランプ氏(69)は「ムスリムの入国禁止」と声高に叫んでいたが、「ロンドン市長に選ばれたカーン氏は例外」とこれまでの発言を微妙に軌道修正した。しかし、カーン氏から「これは私だけでなく、私の友人、家族、私と似た背景を持つ世界中の人々に関わる問題だ」「トランプ氏は無知で社会を分断し、危険だ。ロンドンで投票が行われたら拒絶される」と厳しく批判され、「率直に言って彼の発言は非常に失礼だ。発言は忘れないと彼に伝えろ。本当に不快なコメントだ」と逆ギレする騒ぎを引き起こしている。

 カーン氏は労働党のブラウン前政権で運輸担当閣外相、その後、影の閣僚を歴任、ミリバンド氏が10年の党首選で党首に選ばれた際、選挙参謀を務めるなど、労働党内での地位を固めてきた。保守党のワルシ前外務担当閣外相もパキスタン系移民の家系。独立系シンクタンク「ブリティッシュ・フューチャー(英国の未来)」によると、15年総選挙で過去最高の41人の非白人下院議員が誕生し、このうちムスリム議員は13人。ロンドンの人口は「白人の英国人」以外の“マイノリティー”が55%に達し、ムスリム人口が全体の約15%を占める。カーン氏はロンドン市長職を引き受ける演説で「ロンドンが恐怖より希望を選択したことを誇りに思う。もう二度とこんなことが争点にならないことを願っている」と強調した。

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