広島・長崎の原爆はテニアン島から飛びたったB29によるものだ。さて、この飛行場は誰が作ったのであろうか。もちろん日本だ。建設したのは、横浜刑務所の受刑者とされているが、建設ノウハウをため込んだ女満別の飛行場を建設した網走組も多数いたと考えるのが自然であろう。
何らかの理由で受刑者となり、大戦争で母国に貢献できなかった代わりとして、意識の高い建設が行われたとされている。
しかし、テニアン飛行場が完成して、サイパンから帰国する際に、輸送船は米国の潜水艦攻撃に遭い、全員が遭難したとのこと。彼らは、自らが作った東洋一の飛行場から広島、長崎へのB29が飛び立つことになるのは知らなかった。知らなくてよかったのかもしれない。時節柄、あまり弔われることもなく、資料も少ないのかもしれない。ただし、飛行場が完成し、本土防衛の要だということで、その高揚感はかなりのものであったであろう。
ジョーズのモデルになった撃沈
テニアン島に原爆を運んだ、米国重巡洋艦インデアナポリス号にもドラマがある。特殊任務で、米国本土から原爆をテニアン島に無事運び込み、任務を終了したことで安心していたのか、敗戦間際の日本海軍の潜水艦が数キロに近づいているのを知らなかった。インデアナポリス号は、3本の魚雷を被弾してわずか15分で沈没、千数百の乗員は5日の間漂流したそうだ。ここは、サメの海で、阿鼻叫喚の地獄絵となったのが、後に映画ジョーズのモデルとなり大ヒットすることになる。
捜索騒ぎは終戦間際の日本にも聞こえていて、この重巡洋艦の遭難をうけてか、米軍の無線通信が活発におこなわれ我が国の通信部隊も傍受している。ただ事ではないと議論されていたようだが、まさか、自国の潜水艦が、一番の肝である原爆輸送の任務をうけた艦船を撃沈させたとは知らなかった。帰り船ではなく、原爆を輸送中であったら、広島長崎はなかったのだ。その場合、終戦もなかったのだろうか。とても気になる。