巡礼旅をしているとこのように仏教や日本に関する質問は何度も経験するので自分の理解や認識を整理することになる。何度も繰り返して欧米人の質問に答えているうちに自分なりの見解がまとまってくる。
また一人で歩いていると無意識のうちに「なぜサンチアゴ巡礼するのか」「仏教とキリスト教とイスラム教の共通点と異なる点は何か」「仏教と神道はなぜ両立するのか」というような今までの人生で殆ど無縁であったような領域の問題について自問自答していることがある。
こうした会食においては不完全で未熟ながらも自分なりの見解や知識で欧米人の質問に丁寧に答えるという姿勢が必要と思われる。そうすれば相手は真剣に聞いてくれるし、納得してもらえるし、何よりも会話が弾む。その結果として「会話をする価値のある人間」として認められ、相手から敬意を表されることになる。
誰も学者や専門家のような回答を期待していない。普通の平均的な日本人のコメントや考え方を聞きたいだけなのである。
ところが逆に日本人的な謙譲の精神から「私は十分な知識がなく残念ながらお答えできません」などと答えるのは余りにも自分を卑下した対応であり、また相手に対して失礼である。それでは自分は中身のない人間だと言っているか、または相手との会話を拒否する意思表示と受け取られてしまう。
山ガール、マリーの巡礼
4月30日 18km歩いて午後3時過ぎにAumont-Aubracの巡礼宿に投宿。他に巡礼者はおらず、管理人のおばさんが注意事項を説明して帰ってしまうと一人きりになった。キッチンで簡単な夕食を準備していると一人の少女がチェックインしてきた。一緒に夕食を作って食べることになった。
マリーは20歳。ピレネー山脈の麓で生まれ育ったフランス人だ。このあたりはスペイン国境が近く歴史的・文化的にスペインのバスク地方とつながりが深いとのこと。マリーのお爺さんはスペイン人でマリーも実家ではスペイン語で話しているという。それで英語とスペイン語のチャンポンでおしゃべりすることになった。