栄養上のコストとベネフィットのみならず、つくるための時間と労力、土壌や動植物への影響、その他の環境要因のコストとベネフィットがある。そうしたエコロジカルな制約と条件が地域によって異なることを、著者はその文化の成立時期、あるいは先史時代、ときには人類の先祖の時代にまでさかのぼって検証する。
たとえば、肉食中心の料理は、比較的低い人口密度、作物栽培に不向きか必要としない土地で広がった。一方、菜食中心の料理は高人口密度に結びついており、地勢、地味と食料生産技術の制約から、食肉用動物を飼育すると、人間が入手できるたんぱく質とカロリーの総量が減ってしまうところで見られる。
<ヒンドゥー教徒のばあい、肉生産はエコロジー的に非実用的で、そのマイナスが肉食の栄養上のプラスをはるかにうわまわっているから、肉は食べないのである――食べるに適していないがゆえに、考えるに適していないのだ。>
現代の食生活にも大いに示唆に富む
また、栄養上およびエコロジー上のコストとベネフィットは、貨幣経済上のコストとベネフィットと必ずしも同じではないこと、コストとベネフィットのバランスが一社会の全員に等しくとれているわけではないこと、といった重要な点も見逃さずに指摘する。
食物の取捨選択の根底にある実際のコストとベネフィットを算定するのは容易ではなく、どれも全食料生産体系の一部としてとらえ、短期的・長期的な意味を分けて考えねばならない。さらに、食物は大多数の者には栄養源であると同時に、ごく少数の者にとっては富と権力の源泉でもある、ということを忘れてはならない、と著者は説く。
こうした点をおさえつつ、まるで知恵の輪をするりと解いてみせるかのように、著者は「ほとんど非実用的、非合理的、無益、有害としか思えない、不可解な食物の取捨選択」が、栄養上の、エコロジーの点からの、あるいは金銭的な選択の結果として説明できることを明らかにしてみせた。
食の選択の裏側にある国家、戦争、階級制度、貧困問題、南北問題などにも分け入る広い視野と膨大な情報量には、驚かされた。
原著は1985年に出版された古典ではあるが、現代の食生活にも大いに示唆に富む。
<今という時代は、食慣行は恣意的なシンボルに支配されているなどと考えているときではない。よりよい食事をするには、刻々かわっていくわれわれの食慣行の実際の因果関係について、もっとよく知らねばならない。>
“食慣行の実際の因果関係”が手に取るようにわかる出色の文化論といっていい。
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