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2017年4月1日

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磯山友幸 (いそやま・ともゆき)

ジャーナリスト

千葉商科大学教授(4月から)。1987年日本経済新聞社に入社。フランクフルト支局長、「日経ビジネス」副編集長などを務め、11年に独立。著書に『2022年、働き方はこうなる』(PHPビジネス新書)など。

合併した唯一の効果

 藤野の町おこしが大きく動き始めたきっかけは、2007年の市町合併だった。相模原市の一部になったものの、藤野駅から相模原駅までJRで約40分。しかも東京都の八王子駅経由だ。経済圏としては決して「一体」ではない。

 「合併の唯一の効果は、結果的に自立を迫られたこと」だと中村さんは語る。旧藤野町時代に15人いた町議会議員は、定員46人の相模原市議会に1人の議員を送り出すだけとなった。要望しても藤野の要望はなかなか通らない。「行政に頼ってもやってくれない。自分たちでやろうというムードが広がったんです」。

笑花食堂や藤野ライトハウスも入居する「ふじのアート・ヴィレッジ」

 もともと藤野は自立意識の高い自治体だった。国の「構造改革特区」の仕組みを使って当時はNPOだった「シュタイナー学園」を誘致したのだ。独特な「教育芸術」思想を掲げるシュタイナー教育は国の認可が得られずにいたが、特区申請をして学校法人の認可を得た。そこに藤野町が手を差し伸べたのである。市町合併前の05年に開校した。

 学校誘致の効果は大きい。毎年最大26人の子どもが入学してくるが、それに伴って教育熱心な親たちが藤野に毎年移住してくるようになったからだ。この10年で医師が9人移住し、何と3人が藤野で開業した。藤野も他の山間地同様、人口減少が続いている。過疎地域の多くが高齢化と医師不足に悩んでいるのとは逆に、子どもの減少に歯止めがかかり、医師が町に住むようになった。学校に通うバス路線ができ、結果的に旧来の住民の利便性も高まった。

 「最近は移住してくる人の中に、藤野でなければ嫌だ、という人が増えた」と中村さんは語る。

 6年前に移住してきた髙槗靖典さんもそのひとり。子どもをシュタイナー学園に入れたのが移住のきっかけだったが、それだけではない。「何しろ藤野は『ひと』が面白いんです」と笑う。

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