陸軍少年飛行隊に入隊した父
冒頭、身内に不幸があったと書いたが、私はこの4月に父を亡くした。昭和5年生まれの父は、特別幹部候補生として、中学3年のとき八戸の陸軍少年飛行隊に入隊している。入隊して間もなく終戦を迎えているから、数カ月の軍隊生活に過ぎなかったはずだが、亡くなる直前まで、
「当時の日本人が国を思う気持ちは純粋なものだった。お前が言うように軍人に洗脳されていたとか、国全体が狂っていたとか、そんなものではない」
と言い続けていた。病床でさまざまなことについて語り合ったが、こと戦争の評価に関しては最後の最後まで並行線のままだった。父の立ち位置は愛国心にあり、私の立ち位置は戦中の国家に対する不信感にあり、父が亡くなるまでこの相違を乗り越えて和解することはできなかった。
それはとても悲しいことだったし、おそらく父にとっても、もどかしく、虚しいことだったに違いない。
先日、いわき市出身の友人が、私がいわきを取材していることを知って、2日間かけていわきの名所旧跡を案内してくれた。
映画『喜びも悲しみも幾歳月』や美空ひばりの『みだれ髪』の舞台になった塩屋埼灯台に上ると、息を飲むほど美しい海岸線が眼下に広がった。西に目を転じると、阿武隈高地の山々の緑が間近に見えた。いわきがこれほど美しい土地であることを、私は初めて知った。
立ち位置の相違を超えていくには、この美しいいわきの風景にもっと親しみ、いわきで生きるさまざまな立場の人たちの話をもっと深く、もっとたくさん聞くしかないのかもしれない。その先に、もしかすると私と父の葛藤を解く鍵が転がっているのかもしれない。
塩野埼灯台から見た薄磯の浜では、巨大な防潮堤の建設が真っ盛りだった。白い海岸線が北に向かって一直線に走る新舞子浜の先には、東京電力広野火力発電所、福島第二原発、第一原発が連なっている。
新舞子浜ではこの四年間、遊泳禁止措置が取られてきた。五年目の夏も、この美しい砂浜で泳ぐことはできない。
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