「えらいね、いい子にしてて」と私から声をかけると、お母さんは、『この人は大丈夫かな』と安心した表情に変わります。そして「うちの子が小さい時は、こんなにおとなしく乗れませんでした」と私が話すうちに緊張が解けてくるのが分かります。
これらの様子を見るにつけ、公共交通機関に子連れで乗る人は、本当に周囲に気をつかっているのだと実感します。私の子ども達は幼児と小学生ですが、気をつかうお母さんたちの姿は数年前の自分と重なります。
お母さんが子連れの外出にここまで緊張したり、気を使いストレスを感じたりする現状は、日本の常識かもしれませんが、世界基準で見た際にはいったいどの程度おかしくて、どこに向かうのが正常なのでしょうか。
先日、そのことをとても分かりやすく「知る」ことができる本に出会いました。『世界一子どもを育てやすい国にしよう』(出口治明・駒崎弘樹著、ウェッジ)というこの本は、ふたりの経営者、ライフネット生命会長の出口治明さんと、フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんによる対談本です。おふたりに共通するのは、ご自身が経営する組織を、子育て支援のために設立している、ということ。子育ての実情や問題をよく知るおふたりが、日本の子育てを取り巻く問題と解決への道筋を、社会、経済、歴史などの視点から多角的に語っています。
子どもの泣く声に大人が寛容でないのは、
子どもがマイノリティな存在になったから
本書の中で、出口さんは、飛行機で泣く赤ちゃんを連れた親を批判する風潮を一刀両断にしています。赤ちゃんは泣くのが仕事であると言い、赤ちゃんを連れて飛行機に乗るなという人に「僕は死ぬほど腹が立ちました」と言い切ります。私はこれを読み、泣きたくなるほど救われた気持ちになりました。
こういう言葉にすがりたくなるほど、子連れの人は肩身の狭い思いをしている、と言えるかもしれません。レストランで、カフェで、赤ちゃん連れのお母さん達に会うと、必ず「うるさくて、すみません」と言われるのですから。大人が話している声がうるさい時に、こんな風に謝ることは、まれでしょう。子どもの声ばかり取りざたされるのは、なぜなのでしょうか。
駒崎さんはこの要因を、少子化で子どもを見ることが少なくなったからでは?、と分析します。もし、地域に、社会に子どもがたくさんあふれていて、そこら中に子どもの声が聞こえていたら、それは「当り前」の光景であるはずです。一方、今の日本では子どもがいる状況が、「マイノリティ」になってしまっているのです。そのため、子どもの泣き声や叫び声が目につき、うるさく感じてしまうのでしょう。このようにして子どもに不寛容な社会の声は、ますます子どもを持つことを難しくする…という悪循環になっています。
確かにその通りだな、と思いました。電車の中、酔って大きな声で話す大人を見た時に「金曜だから飲んで帰ったんだな」としか思わないのは、その数が多いからです。昼間にカフェで仕事をしていて、中高年女性の話し声が大きく響いたら「自分が場所を変わればいいや」とあきらめるのは、彼女たちが多数派だからです。問題は音量ではなく、多数派か少数派か、ということだったんだ…駒崎さんの解説を読み、私自身がとらわれていた暗黙のバイアスに気づくことができました。