「私も子供の頃はやったけど」と呟くS。私も彼女も動くことさえできず、足元に転がってきたピーナッツ数個を拾ったのみだった。
たまに怪我人もでるそうだが、当然だと思った。ピニャータは、敬虔なポサダとは裏腹の(背中合わせの)、原始的な情熱を掻き立てる余興なのだ(聖と俗を両極端まで見せる、という意味できわめてメキシコ的?)。
その後、Sの家でクリスマスの飲み物のポルチェ(果物を煮込んだ温かい飲料)と伝統料理のタマレス(肉入り蒸しトウモロコシ)をご馳走になった。隣の部屋は家具が片付けられ、ミニ・ダンスホールのようだった。食後は夜明けまで、親戚や友人、知人がやってきて一晩中踊り明かす予定だという。
「その前に、地区の教会で真夜中のミサがあるんだけど、行かない?」、Sが言った。「でも僕は、カトリックじゃないけど」「関係ないわ」、Sは私の手を引いて外に出た。
道すがら、先刻ピニャータが行われた中庭が見えた。薄ぼんやりとした街灯の下に、メチャクチャに叩き壊されたピエロやクマ、星の形のピニャータなどが積み上げてあった。
私はその光景を目にした時から45年もたって、「ああ、あの激しい破壊の対象となるピニャータの中に、今年はたくさんのトランプ型人形も混じるのか」と、感慨深く思った次第なのである。
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