昨年12月22日付本欄で(『WBCは今回で打ち切り?』)で消滅が取り沙汰されているとお伝えしたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)、どうやら次回以降も存続することが決定したようだ。去る7日、1次ラウンド・B組視察のために来日した米大リーグ機構のロブ・マンフレッド・コミッショナーが日本外国特派員協会の記者会見で、「選手が母国を代表して戦う貴重なイベント。毎回成長を続けている」と明言。米マスコミの〝打ち切り報道〟にも、「なぜそんな話が出たのかわからない」と完全否定したのである。
WBCが〝真の野球世界一〟を決める大会か否か、ファンやマスコミのみならず、日本の球界にも懐疑的な意見の持ち主は少なくない。中日監督時代の2009年、侍ジャパンに選手を供出しなかった落合博満氏はその最たる例だろう。しかし、その半面、1次、2次ラウンドが開催された東京ドームに足を運ぶと、最初のころよりかなり国際試合らしい権威と雰囲気が感じられるようになったのも確かだ。
関係者用の入り口では、空港の保安検査所さながらに、大会関係者も報道関係者も必ず手荷物や所持品のX線検査を受け、金属探知機のゲートをくぐらなければならない。球場の中はベンチ裏も観客席も大勢の外国人たちでごった返し、内野スタンドには参加国の実況中継のための放送ブースもつくられている。試合後の会見になると同時通訳のイヤホンが用意されていて、海外メディアの記者からも盛んに質問が飛ぶ。そんな現場には、国内のリーグ戦や日本シリーズとは違う、一種独特の緊張感が漂っている。
スタンドの応援やにぎわいぶりも、日本のファンが見慣れた風景とは大いに異なる。
ジャパンの攻撃の最中は、ふだんのリーグ戦と違ってレフト側からもライト側からも鳴り物入りの応援が沸き起こり、耳を聾せんばかり。一方、相手国の攻撃になると、内野スタンドに陣取る日本在住、及び滞在中の同国人が自分たちの声だけで懸命に声援を送る。日本式に選手の名前を連呼するキューバ人がいたり、派手なフェイスペインティングをしたオーストラリア人がいたり、見ているだけでもなかなか楽しい。
このときは、投手の投球が捕手のミットに収まる音、打者がその球を打ったときの打球音がはっきり聞こえる。その打球がヒットになると、外国人たちが声を限りに喜びを表現する。これが野球の応援の原点かもしれないと、50代半ばの私などは思う。
しかし、このようにしてWBCが世界各国の野球ファンに認知されてくると、ジャパンの監督にかかる責任も重大。小久保裕紀監督が就任以来、常々強調しているプレッシャーも、今後はますますふくらむに違いない。