毛沢東が1951年に人民解放軍をチベットに送り込んで制圧に「成功」したのは、まさに当時のアジア大陸部が英国のインド撤退と朝鮮戦争によって権力の空白となっていたからである。しかし、毛沢東は軍事の天才でありながら同時に愚の極みを犯した。当時の劣悪な輸送環境のもと、10万人の人民解放軍が駐屯したラサはたちまち食糧危機に陥っただけでなく、チベット人の頭ごなしに強要される社会主義「改革」の実態は、共産党が掲げる平等の観念に僅かでも期待したチベット人を激しく幻滅させた。チベットは「おくれた農奴制社会」であり、その変革を助けるためにやって来た漢人幹部の正しい判断に従え、と言われれば、露骨な二級国民(あるいはそれ以下)扱いにチベット人が激怒しないはずがない。その行き着く先こそ、チベット人の全面的な武装蜂起と人民解放軍による殲滅戦、そしてダライ・ラマ14世の亡命であった。
チベット問題と沖縄問題の共通点
毛沢東時代が終わった後、中国共産党は1981年の「チベット工作会議」で当時の行き過ぎを自己批判したが、代わりに経済発展の恩恵さえ与えればチベット人は満足するはずであり、更なる抵抗は「分裂主義」であるとする立場は一貫している。先日、昨年のウルムチ事件を受けてはじめて開かれた「新疆工作会議」も改めて「恩恵」路線を確認しているが、何事も現地の人々の頭ごなしに決められる矛盾には全く手が付けられていない。しかも国防と資源開発のためにますます「神聖不可分な土地」としての位置づけは強まっている。いっぽうで少数民族地域は、経済発展した地域の人々に「癒し」を提供するエキゾチックな土地、あるいは「祖国に彩りを添えるための土地」と位置づけられ、外部から手が加えられている。その一つの帰結こそ、北京五輪や上海万博で披露された「各族人民の一大賛歌」なのである。
このようにチベット問題を概観するとき、沖縄問題との共通点が次の通り見えてくるだろう。
(1)大国のあいだの結節点として文化的繁栄の記憶がある。
(2)近代主権国家システムと大国間競争により、自主が失われて久しい。
(3)勢力圏争いに敗れた対抗勢力が常に支配のほころびを窺っている。
(4)軍事的重圧に加え、「内地」あるいは「本土」との各種格差を抱える。
(5)政権が掲げる期待が裏切られた際の矛盾は、上記を踏まえ増幅しやすい。
もっとも、現実には程度の違いがあり、日本国には言論の自由もあることから、沖縄問題とチベット問題を同列に論じること自体がおかしい、という反論もあろう。しかし筆者としては、さまざまな問題が入り組んだ敏感さという点において両者は似ていると考えざるを得ないのである。
ツイッター首相がもたらした危機
沖縄問題の打開・緩和は、いま改めて朝鮮半島問題を中心として東アジアが多事の秋を迎え、日米韓の協力が不可欠だからこそ重要性を増している。とくに、中国が北朝鮮の後見役としての立場を捨てず(中国は自国の安全保障や韓国との領土争いに鑑み、38度線と北朝鮮の瓦解を決して容認しないだろう)、台湾問題も不透明な状況にあっては、東アジアの安全保障環境を安易に変更することは自殺行為であろう。したがって筆者の私見では、日米安保体制の現状はやむを得ず維持し、同時に負担の軽減と基地問題・安全保障問題に関する一般国民への啓発を行うことこそ欠かせないと考える。