2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2010年5月26日

東シナ海でのきな臭い動きは中国の「腕試し」

 1996年3月、中国は台湾初の総統直接選挙をミサイルで威嚇し、逆に中国からみて極めて好ましくない李登輝氏の当選を招いたが、その前年に沖縄で起こった米兵暴行事件をきっかけに日米安保が動揺したことは、中国が武力で現状変更に挑戦しようとしたことのひとつの伏線であろう。しかしミサイル訓練の直後から「日米安保の再定義」が図られて、周辺事態への対応や平和維持活動への日本の参加が課題に上った。いっぽう、在日米軍の地位をめぐる問題や普天間基地をめぐる問題(辺野古移設)など、沖縄の負担軽減についても本腰が入れられた。小渕元首相の発意による沖縄でのサミット開催成功も、このような経緯の延長にあるといえよう。筆者は日米安保を無条件に賛美するものではないが、少なくとも日米関係が緊張感を以て連携しあい、日米安保が適切に運用されさえすれば、地域の不安定要因と基地問題の両者への対応も相対的にみて悪くないものとなっているように思われる。

 いっぽう、東アジアのパワーバランスが中国に振れたときにはどうなるか? 中国は先月から今月にかけて、潜水艦の水面航行や自衛隊・海上保安庁への異常接近による威嚇を繰り返した。それを共産党中央が関知していたのか、それとも人民解放軍内部の突出した行動であったのか知る由もないが、少なくともそれは、米中関係に比して日米関係の比重が著しく低下し、しかも日本政府が中国に対して一方的に融和的であることを見透かしての「腕試し」であったと思われる。中国は近現代の主権国家間の争いに遅れて台頭した挑戦国家であり、19世紀的な権力政治の信奉者である。自己主張なき恭順な存在は無視し、いつでも秩序のほころびを突いて自らに有利な状況を作り出そうとしてきた。

過去のチベットは明日の沖縄?

 「万国津梁」すなわち諸国家の結節点としての繁栄と苦難はこうして、まさに国際関係の変動と紙一重な問題として再生産されてきた。だからこそ統治する者には、結節点に住む人々からの信任を取り付ける格段の責任と緊張感が求められる。しかし、そうしなかった場合にはどのような運命が待ち受けているのか? 筆者には、中国大陸を挟んで一見対極にあるかに見えるチベットと沖縄の状況が重なって見える。

 チベットと言えば、ダライ・ラマ14世を頂点とする亡命政府と中国の長年の対立がただちに思い浮かぶが、事の発端は沖縄と同様、その国際的な地位が曖昧だったことに由来する。チベットは古来、中国とインドの間に挟まる内陸アジアの文化的結節点であり、18世紀以後、満州人が皇帝として君臨する清に従属してきたが、漢人の中国とは全く異なる独自の政府を持ち、何よりも皇帝はチベットの仏教のパトロンであった。

 しかし「日清両属」である沖縄の立場が日本によって否定されたのと同様、近代国家主権の発想が清末に一般化すると、満州人皇帝に従属していた地域にはすべて近代国家「中国」の主権が及ばなければならないという観念が広がった。仏教社会チベットは、これからは「中国の一部分」として、漢人が分け与える近代の価値に従わなければならないとされ、中国ナショナリズムの傲慢に反発するチベット人は英領インドにすがった。

 近代中国は、チベットから英国を排除して彼らの理想=満州人皇帝の版図の回復を狙ったが(排満革命をしておきながら満州人の版図を神聖化するのは甚だしい矛盾である)、近代中国は同時に英国からの借款なしでは生きられない。蒋介石はたびたびチベット「主権回収」の機会をうかがったが、日本との戦争は英国が頼りである以上、英国の勢力圏・チベットを攻め落とせなかった。


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