出口:もしゴアが勝っていれば、ひょっとしたらISは生まれていないかもしれません。
森本:なるほど。バタフライ効果(南米で一匹の蝶が羽ばたくと北米で竜巻が起きる、というように、わずかな変化が大きな結果を生み出すというカオス理論)ですか。
出口:どちらにも転ぶ可能性がちょっとした偶然で片方に移った。その偶然が、指導者の資質によって大きな差になっていくことがある。それは怖い気がします。
最近のBrexit(注:連合王国のEU離脱)やトランプの勝利を、トッド(注:エマニュエル・トッド。フランスの歴史人口学者)などは、「国家の巻き戻しが始まっている」と語っています。彼の言う通り、世界は新しいステージに入ろうとしているのか。それとも単なる振り子の振れなのか。森本先生はどうお考えですか?
森本:EUに残るべきか、出るべきかという問いは、政治、外交、経済、軍事など、一人一人があらゆる知識を持った上で、「じゃあ私はこちら側だ」と決断するのであれば、国民投票する意味があると思います。でも、一般の国民というのはとてもそんな膨大な情報を得る暇はないですよね。投票後に一番驚いたのは賛成派で「えっ、通っちゃったの? ところでEUってなんだっけ?」というくらいですから、本当は少し無理な問いだったのではないかと思いました。
出口:国民投票にかけるべきではないものを、かけてしまったと。
森本:たとえば日本の憲法改正でも、「国民がイエスというのならそうしようじゃないか」と、簡単に進んでよいものかどうか、僕にはわかりません。必要な判断材料を揃えた上で、熟慮の末の決断ができるかどうかです。
アメリカについても振り子が戻っていってほしいとは思います。でも、グローバリゼーションが進めば進むほど国と国との差は縮まりますが、一国の中ではむしろ差が広がってゆくわけです。賃金格差でも、下の方にいる人たちは、中国などと戦わなくてはいけないわけですから、マイナスが大きいところが目立ったのではないかと思うんです。
「アメリカの反知性主義は、
強烈な知性主義へのアンチテーゼなんです」
出口:日本の反知性主義の代表的ムーブメントって、何でしょう? あるいはこれから日本で反知性主義がどのように起きていくのか、どうお考えですか。
森本:ある人が、「日本にあるのは反対の反ではなく、半分の半。半知性主義しかない」と言いました。アメリカの反知性主義は、強烈な知性主義が先にあり、それに対するアンチテーゼです。日本には強烈な知性主義もないかわりに、強烈な反知性主義もない。あるのは半分どっちつかずの知性主義だと言うんです。なかなか面白い見方だと思います。何事でもそうですが、反発するにはどこか腹が据わっていないとできませんから。
出口:ぶつかるための強固な足場がない、と。
森本:はい。そういう意味でアメリカの反知性主義を後押ししたのは、宗教的な確信です。「いくらあなたがこの世の中で偉くても、神の前ではあなたと私は同じ一人の人間だ」という矜持がどこかにあるんですね。日本でそういうものを手に入れるのはなかなか難しい。
日本はすべて、権威の軸1本におさまってしまうんです。学問でも、芸術でも、すべて権威のもとにすり寄っていって上から序列づけられ、一本になる。
出口:ああ、なるほど。
森本:反発する人は、権威の軸とはどこか別のところに立っていないと、結局は反発ではなくて単なるやっかみになってしまいます。
出口:しかし、権威の軸もそれほど強固なものではないですよね。たとえば大学の大先生がいて、弟子は文句を言わないとか、それくらいですよね。
森本:確かにそうです。
出口:ゆるやかだけれど、ロジックがない。原理原則がない単なる権威主義ではないのでしょうか。
森本:いやあ、まさにその通りです。僕はここのところ「正統と異端」という話を追いかけているんですが、日本の正統というのは原理原則がある正統ではなく、前の人がこうだったからという系譜の正統なんです。正しい正しくないではなく、前はこうだった、伝統はこうだった、前任者がこうだった、というところで正統化する。
出口:そういうところでは強い異端は生まれないですよね。
森本:丸山眞男が「日本の異端は片隅異端だ」と言っています。つまり、飲み屋の片隅で上司の悪口を言ってくだを巻いている。でも、そういう人は昼間に会社に行くと、上司の前では平身低頭しちゃうから、結局は現実を変える力にならない。そもそも異端とは、「自分こそ正統で、あいつらが間違っている」という確信です。しかし日本人は「いいんです、いいんです、どうせ俺は異端ですから」という、変に慎み深い人が多い。腹の据わってない異端なんですね。