5月9日に実施された大統領選挙の結果、新しい韓国大統領として文在寅氏が当選した。文当選者は当選と同時に空席状態の大統領に就任、翌10日から大統領としての執務を開始した。
大統領の執務開始と同時に最も注目を集めているのが、第一次内閣の「顔ぶれ」だ。左派、親北といわれる文在寅政権が誰を登用するのか、登用においてどのような方向性を示すのかが大統領が本当に目指しているものを知るための指標となるからだ。
投票の翌日である10日、国政を動かす「総理」、大統領の最側近ともいえる「大統領秘書室長」、検察と警察に強い影響力を持つ「青瓦台民政首席」という主役が決まったが、この人事の中で、現在議論の種となっているのが大統領秘書室長に内定された任鍾晳(イム・ジョンソク・51)だ。
北朝鮮に学生代表を派遣―国家保安法違反で懲役5年
金大中政権下で赦免、政界入門
1966年生れの任鍾晳は漢陽大在学中の1989年、全国的規模の学生運動連合体である「全大協」議長の座に上る。彼の名前が国民の頭の中に刻みこまれたのは1989年北朝鮮の世界青年学生祝典に韓国代表として女子大学生林秀卿氏を派遣した事件である。交流および訪北が禁止されていた当時、林秀卿氏が平壌で金日成と抱擁する姿は、北朝鮮の体制宣伝のための道具として利用され、韓国社会に大きな衝撃を与えた。同時に、林氏を派遣した全大協のリーダー、任鍾晳の名前も全国的に知られるようになった。
この事件を受け、警察は任氏を指名手配しその行方を追った。長期間の逃避生活の果てに逮捕された彼は、国家保安法違反で懲役5年の実刑判決を受けたが、3年半の服役後赦免により1993年出所。1999年金大中政権の復権措置の後、金大中大統領が訴えた「若い血輸血論(若い人材を登用する)」により与党民主党の候補として国会議員に出馬、当選した。
以後、盧武鉉政権では与党「開かれたウリ党」の代弁人、朴元淳ソウル市長選挙ではキャンプ総括チーム長を務めた後、2014年からは朴元淳ソウル市長のもとで政務副市長の任に就いている。政界で名前が登場する度に過去の経歴が指摘されたが、その時は「主役」まではいえないポストだったためまだ「憂慮」のレベルでとどまっていた。
しかし、彼の「経歴」から「親北」というイメージは払拭されず、2001年には議員の身分にもかかわらず、米大使館から入国ビザ発行を拒否されたことがあった。今後の文大統領訪米の際、果たして米国はどう対応するだろうか。
また、服役中に手紙交換で知り合い後に結婚した妻のキム・ソヒ氏は2004年から日本にある朝鮮学校へ本を寄贈する運動に参加し、朝鮮学校を何度も訪問している。これは朝鮮総連との「パイプ」、少なくとも「了承」がないと不可能なことだろう。