垢の他人に慈悲を求めるのはキリスト教を信じているから?
4月28日(金)。ルート66旧道とグランドキャニオンの中間に位置するTuba Cityに向かう途上ガソリンスタンドで給油していると白人青年がガソリンを買う金がないので1ドル援助してほしいと手を出してきた。
高速道路が交差するような町では無銭旅行者がボール紙に行き先を書いてヒッチハイクをしている光景を頻繁に見かけるが服装が汚れており臭そうなので無視していた。
また時にはボール紙を首からぶら下げて座り込んでいる青年もいる。“旅行途中で盗難に遭遇して所持金を奪われたので故郷に帰る資金を援助してほしい”とか乞食をする理由が書いてある。彼らが堂々と物乞いをしているのは“不幸な貧しきものに持てるものを分け与える”というキリスト教的善意を信じているからではないかと思うがいかがであろうか。
米国のラジオ番組
米国を自動車旅行しているとラジオが楽しい。中西部のルート66沿いでは終日カントリーミュージックである。カントリーは白人開拓者の文化なのだろう。南部に下がってダラスやフォートワースに近くなると黒人の音楽であるリズム&ブルースが聞えてくる。更にテキサスやニューメキシコではヒスパニック系市民のためにラテン音楽が流れてくる。
こうした音楽番組は理解できるが馴染みがないのがキリスト教番組である。どうも教会系ラジオ局が放送しているらしい。男性による説法と讃美歌やゴスペルソングなどの宗教音楽を流している。ハイウェイを走りながら説教に耳を傾けている人々がいるのだろうか。
TVの教会番組
モーテルで週末の朝にTVチャネルを回していると頻繁にキリスト教会番組に出くわす。
4月30日(土)。アリゾナ州のルート66旧道沿いの都市Stagflaggのモーテルで朝テレビをつけると教会番組をやっていた。番組のタイトルは“Hour of Power”。
会場はかなり広く2000人くらい収容できるホールだ。おそらく大きな教会の集会場であろう。管弦楽団によるバイオリン協奏曲による演奏が終わるとイケメンの長身の白人青年が登壇してハンドマイクを持って舞台上を歩き廻りながら聴衆に熱っぽく語りかける。
聴衆は爆笑したり拍手喝采したり大いに盛り上がっている。ロックコンサートなどで曲の合間にボーカリストが聴衆に呼びかけると聴衆が歓声をあげるのと同じノリである。Whtherfordの第一洗礼教会でも感じたことだがやはりアメリカでは礼拝集会はエンターテイメントなのだ。
現代社会のなかで“普通の人々”が求めている不安、不満、欲求を的確に捉えて音楽やトークにより精神を開放して癒して鼓舞して満足させるという意味においてはミュージカルもロックも日曜礼拝も同じ存在なのであろう。
⇒(第12回後半へ続く)
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