石油ショックからバブルまでが安定成長期
石油ショックからバブル期(87年頃から90年頃まで)までの日本は、安定成長期です。年平均4%強の成長率でしたから、高度成長期に慣れた人々からは「落ち着いた成長率」に感じられたでしょうが、今の感覚では大変な高成長だったわけです。
高度成長期は、量の拡大が顕著でしたが、安定成長期は日本製品の品質が向上したことが特徴的です。高度成長期の日本製品は「安かろう悪かろう」と言われていたが、バブル期には「日本製品は品質が良いから高くても買いたい」と言われるようになっていたのです。
1985年にプラザ合意(先進国が集まり、ドル安誘導をする事に決めた会議)があり、その後3年間で大幅な円高になりました。これも日本製品の品質向上に寄与することになったのです。品質より価格の安さを重視するものは、アジアから輸入すれば良いので、日本では値段が高くても売れる品質の高い物だけを作れば良い、ということになったからです。
バブル期には、「日本経済は世界1だ。21世紀は日本の時代だ!」といった陶酔感が国中に蔓延し、ちょうど金融が緩和されていた時期だったこともあり、地価と株価が急騰しました。「世界1の国の地価や株価が高いのは当然だ。今までが安すぎたのだ」と投資家たちが考えたのです。銀行も、「土地を担保に融資をすれば、取りっぱぐれないだろう」と考えて、土地購入資金を積極的に融資したため、地価が一層上昇した、というわけです。
バブル崩壊後の長期停滞期が30年近く続いている状況
バブルが崩壊すると、バブル期の投資等の反動で、景気が悪化しました。各社は立派な工場を、各家庭は立派な耐久消費財を既に持っていたので、新しく工場を建てたり耐久消費財を買ったりする需要がなかったのです。
90年代の後半になると、銀行の不良債権問題が深刻化し、倒産する大手金融機関が続発するなど、金融危機が発生します。バブル期に不動産購入資金を融資した分の多くが不良債権化し、銀行が耐えきれなくなったのです。「金融は経済の血液」ですから、金融危機により景気は大きな打撃を受けました。
政府と日銀は必死の努力で金融危機を抜け出しましたが、財政赤字が拡大したり、日本企業が借入恐怖症に陥ったり、様々な後遺症が残りました。
2000年には米国でITバブルが崩壊し、2008年には米国でリーマン・ショックが発生し、日本の輸出が大打撃を受けて日本経済に大きなダメージとなりました。日本経済は、内需が弱いので、輸出が打撃を受けると、それがそのまま景気への打撃となってしまうのです。
ITバブルとリーマン・ショックの間、日本国内では小泉内閣による「構造改革」が行われていました。理念としては「需要を増やすことより、供給側を強化することを重視する」ということでしたから、たとえば「不良債権処理を促進したことで倒産が増加し、景気が悪化するのではないか」、といった不安が筆者をはじめ多くの景気予測関係者の間で高まっていました。
結果としては、海外経済が比較的好調で輸出が伸びたことなどから、景気はむしろ緩やかな回復を続けました。小泉内閣も、本当に危ないこと(りそな銀行の破綻処理)などは回避しました。実は景気のことも気にしていたのかもしれませんね。
日本経済は、リーマン・ショックの痛手から立ちなおった後も、低迷を続けていました。そこに登場したのがアベノミクスです。これは、「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」「民間投資を喚起する成長戦略」のいわゆる「3本の矢」を掲げて登場した安倍総理の経済政策のことです。
当初は景気が順調に回復し、アベノミクスを評価する人が多かったのですが、「消費税率引き上げに伴って一時的に落ち込んだだけだ」と思われた景気が、思ったほど回復しなかったこともあり、最近ではアベノミクスの副作用を気にする人の方が増えてきているようにも見えます。
もっとも、失業者は減り、就業者は増え、労働力不足から非正規労働者の時給も着実に上がっていますので、アベノミクスが一定の成果を収めたことは疑いのないことであり、筆者は素直に評価したいと思っています。
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