2024年12月22日(日)

前向きに読み解く経済の裏側

2017年8月14日

 高度成長期に立派な工場が大量に建てられて以降、日本は「物づくり大国」だと言われて来ました。しかし、直近の労働力統計を見ると、製造業のウエイトは全体の16%を占めているに過ぎません。なぜなのでしょうか?

ペティ・クラークの法則で製造業が縮小した

(Ivary/iStock)

 経済学で「ペティ・クラークの法則」を習ったことがあるかも知れません。これは、「多くの国で、最初は第一次産業(農林水産業等)のウエイトが高く、経済が発展するに従って第二次産業(鉱工業、建設業等)のウエイトが高くなり、更に経済が発展すると第三次産業(その他)のウエイトが高くなる」という法則です。こうしたシフトは、需要面と供給面の両方で生じますので、分けて考えてみましょう。

 高度成長期には、都会に新しい工場が建ち、農村から若者が働きに来ました。第一次産業から第二次産業へのウエイトのシフトです。需要面では、工場で給料をもらった人々(金の卵と言われた若者のみならず、農村から出稼ぎに来た労働者も)が、テレビや冷蔵庫や電気洗濯機などを買いました。所得水準が上がったので、食料以外のものも買えるようになったのです。

 供給面では、新しい工場が次々と建ちましたから、最新式の機械で大量生産が行なわれるようになりました。工場で働く労働者も農村から大勢やって来ました。農村が労働者を送り出せるようになったのは、トラクターや化学肥料のおかげでした。

 さらに経済が発展して日本人が豊かになると、第二次産業から第三次産業へのシフトが始まりました。需要面では、一通りの物は揃ったので、サービスの需要が増えました。最近の言葉で言えば「モノ消費からコト消費へ」です。

 旅行や外食などをする余裕が出来てきた、というわけです。供給側としても、物づくりは自動化が進めやすいので、製造業の従業員数もそれほど増やさずに済みましたし、付加価値額もそれほど増えませんでした。

 一方で、サービスは人手に頼る面が大きいので、サービスの生産が増えるとともに従業員の数も産み出される付加価値額も順調に増えていった、というわけです。こうして日本経済が発展するにつれて、ペティ・クラークの法則どおり、日本経済は第三次産業中心にシフトして行ったわけですが、以下に記すように、日本経済に特有の事情もありました。

円高で海外生産が増加

 高度成長期に「値段は安いが、品質も低い」と言われた日本製品が、安定成長期に品質向上を果たし、プラザ合意(1985年)による円高の際には海外から「値段は高いが、品質も高いので、買いたい」と言われるようになっていました。しかし、工業製品には「品質はそこそこで良いから、値段が安いもの」という需要も多いのです。

 たとえば、カジュアルな洋服は、作るのが難しくありませんから、中国で作れば良いので、わざわざ人件費の高い日本で作る必要はありません。思えば戦後の復興期に、日本は技術力が高くなかったにもかかわらず、米国に洋服を輸出していました。当時の日本と米国の関係が、今度は中国と日本との間に生じたというわけです。

 そうなると、中国と日本の棲み分けが必要になります。労働力の安さを武器とする中国は、労働集約型製品を作り、日本は技術集約型製品を作る、ということになったわけです。極端なことを言えば、国内には全自動のロボットで物を作る最新式の工場しか残っていないので、労働者数が非常に少なくて済むのです。

 ちなみに、日本企業が海外に建てた工場には、大勢の労働者が働いていますから、日本企業の従業員に占める製造業のウエイトは結構高いのですが、日本経済に限ってみると、製造業の労働者は少ないのです。


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