「たくさんもらった名刺をじっと眺めながら、これから先どういう方々とつき合って仕事を展開していけばいいのか考えました。持続していくことこそが大事で、生活の根底を発信するという足元を確認して進まないとね」
殺到する都会からの注文に流されていたら、自分たちの拠って立つ足場を失って、ある時飽きられて終わりだったかもしれないと、松場は笑う。
雑貨ショーへの出店と成功は、自分たちのためのモノづくりを考えようと雑貨中心のブランド「BURAHOUSE(ブラハウス)」を「群言堂」へとチェンジし、生活全般にわたる商品と暮らしの提案をしていく「石見銀山生活文化研究所」設立への転機になった。
生成り木綿や紬(つむぎ)、藍染めなど日本で育まれた布や技を使った着心地がよく長く使える服は、モノが内包している背景やそれを生み出す価値観を大事に考える人たちの静かだけれど熱く確かな支持を得て、店舗も全国に広がっていった。
古の価値を未来へつなぐ
初めて「群言堂」という名前を目にしたのは、十数年前、東京のデパートの一角だったと記憶しているが、当初は骨董品でも扱っている会社のような印象を受けたものだった。
「中国から来て島根大学で学んでいた留学生が1カ月ほどここで暮らして、お互い言葉が通じないから漢字で筆談していてね。帰る時に書いてくれた言葉が〝群言〟なんです。〝一言(いちげん)〟がワンマン的で中央集権的なイメージなら、反対の〝群言〟はボトムアップ的でみんなの意見を集約して前に進む感じがして、いいなと思って」
一緒に何かを作り上げるといえば、松場が力を入れていることのひとつに古民家の再生がある。今では日本各地から人がやってくる「他郷阿部家」も、江戸時代中期の1789年に建てられた武家屋敷を13年もの年月をかけて再生したものだ。
「県の文化財に指定されてはいたけれど、再生に着手した時には床は抜け、壁は落ちてお化け屋敷みたいだった。でも、間取りをじっと見ていると生活の動線が見えてくるし暮らしぶりが浮かび上がってくる。それをみんなの知恵と力を借りて、何を残し、何をどう活かすかゆっくりじっくり考えながら再生していったんです。すぐに結果を求めるスピードに対して、スローは非効率だけれど独創性や想像力を育ててくれるし、何より携わった人たちの思いがしみ込む。このプロセスや考え方は次の世代に伝わっていくはずだと思っているんです」