去る1月30日、トランプ大統領が初の一般教書演説を行った。それを受けて日本の一部メディアは、「トランプ大統領が国内の団結を初めて訴えた」と報じた。この指摘は正しい。だが、新政権が発足して1年以上経過した段階で大統領が初めて団結を訴えたと報じられる事態は、そもそも異常である。
アメリカでは、大統領選挙時に生じた二大政党の対立状態を大統領就任時には解消しようと努め、大統領も二大政党も、少なくとも政権発足当初は国内融和を呼びかけるのが伝統だった。だが、トランプ政権については、そのような状態は発生しなかった。
また、今回の一般教書演説も、確かに最初の部分では団結を訴えたものの、全体として見れば、党派対立をあおり、自らの支持基盤を喜ばせることに力点が置かれていた。党派的行動は民主党の側でも見られ、トランプが黒人の失業率が歴史的な低さを示しているとその成果を誇った際、黒人議連のメンバーは起立も拍手もしなかったことが象徴的なシーンとして繰り返し報道された。そもそも、一般教書演説を聞くのをボイコットして議場に現れなかった議員も存在していた。
今日の一般教書演説は
党派対立、党内対立を巻き起こしている
一般教書は、元々は行政部と立法部の間で国の向かうべき方向性をめぐって議論をするきっかけを作ることが目指されたものだった。連邦議会上院は州を、連邦議会下院は小分けにされた個別選挙区(現在では435存在する)を、そして、大統領は全米を代表する存在である。それらの異なる支持母体の利益関心を互いに向き合わせることによって最適な政策を実現させようとするのが、合衆国憲法創設者の意図だった。
そのため、初代のジョージ・ワシントン大統領や二代目のジョン・アダムズ大統領が議会に向けて教書を発表すると、連邦議会もそれへの回答を準備し、議論を深めていた。だが、連邦政府、とりわけ大統領の権限増大を否定的にとらえるトマス・ジェファソン大統領が、教書を連邦議会で読み上げるのをやめて書簡を送付する方式を1801年に採用するようになると、連邦議会も教書に対する返答をやめるようになった。大統領が連邦議会で教書を読み上げるのを復活させたのは、1913年のウッドロウ・ウィルソン大統領だった。これは連邦政治の中で大統領が果たす役割が増大したことを反映したものだった。
大統領は綱領を掲げて選挙戦を戦い、国民の間でもその内容実現についての期待は高まっている。だが、大統領制を採用するアメリカでは、大統領は法案提出権持たない。そこで、立法権を主管する連邦議会との交渉が必要になる。一般教書は連邦の行政部と立法部の機関間の議論の進化を目指して行われるべきものだったのである。
しかし、今日では、一般教書演説は機関間の対話を促す機会ではなく、党派対立、さらには、政党内対立を巻き起こす機会となっている。この変化は、メディアの発達に伴って生み出されたといえる。一般教書演説は1923年にはラジオで、1947年にはテレビで放送されるようになった。その状況の中で、一般教書演説の主たるターゲットは、連邦議会議員から一般国民へとシフトした。そして、1966年以降、大統領の所属政党とは異なる政党も反対演説を行うようになった。今年の民主党による反対演説は、ジョー・ケネディ三世によって行われたため、大きな注目を集めた。ジョーの父親は、ジョン・F・ケネディ政権で司法長官を務めたロバート・ケネディである。なお、反対演説は一般教書演説の直後に行われることもあり、一般教書演説が行われるよりも前に準備されているため、両者の内容は対応しているわけではない。