2024年4月20日(土)

WEDGE REPORT

2018年6月16日

2018年MLB開幕戦、シアトルファンから大歓声で迎えられ、打席に入るイチロー(AP Photo/Elaine Thompson)

 イチローのプレーが見られなくなってから1カ月半になろうとしている。

 大リーグ出場が可能となる登録選手枠から外れ「会長付特別補佐に就任」がマリナーズ球団から発表されたのは5月3日のこと。今季はプレーしないことになったものの、球団との取り決めでチームに帯同。試合前の全体練習に参加する日々を送っている。

 電撃的な発表があってから2週間が過ぎた日だった。本拠地セーフコ・フィールドで打撃練習の際に外野でボールを追っているイチローに、守護神ディアスが近づいた。ときおりジェスチャーを交えるイチローにうなずき聞き入るディアス。遠目からも真剣な表情が見て取れた。

守護神ディアス(右)にアドバイスを贈るイチロー(筆者撮影)

 打者ではなく、投手がアドバイスを求める希少な光景には、イチローの存在がいかにチームにとって貴重であるかを物語っている。

 6月4日には早出特打の野手を相手に打撃投手デビューを果たしたイチローは、3月7日の古巣復帰会見で言った。

 「僕が培ってきたすべてをこのチームに捧げたい」

 大リーグ18年目に挑みながらもシーズン序盤でプレーを断念。しかし、チームに合流してからの日々はイチローにとって深く心に刻まれたかけがえのない時間だった。

 「(入団が)決まってから2カ月弱ぐらいの時間でしたけど、この時間は僕の18年の中で最も幸せな2カ月であったと思います」

 至福を感じた2カ月とは――。様々な角度から近接し、その深淵を探る。

一投手に贈った至言

 「最も幸せな2カ月」は波乱含みで始まった。

 3週間も合流がずれ込んだキャンプでイチローは調整に邁進した。が、右ふくらはぎに張りを覚えペースダウン。さらに不測の事態は続く。3月23日の練習試合で、頭部に死球を受け地面に倒れ込んだ。

 マウンドで帽子を手にうずくまったままだったのは、レンジャーズ傘下のマイナーチームに所属する左腕、ブランドン・マンだった。奇遇にも、マンはシアトル近郊のタコマ生まれで、2011年から翌年までプロ野球DeNAに在籍した。

 イチローが大リーグに鮮烈デビューを果たした20001年、当時高校生だったマンはイチロー見たさにセーフコ・フィールドで30試合も観戦したという。その憧れの存在に手元が狂ってしまう。近寄ることもできず、固唾をのんで見守ることしかできなかった左腕は、トレーナーに付き添われてフィールドを去るイチローの姿を帽子を握ったままで見届けた。

 登板後、傷心のマンに話を聞いた。

 「帽子をかぶらずにずっといたのは、日本流に従い故意ではない意志と敬意を表する気持ちでいたから」

 気丈に話すマン。「2打席で対決できたのはとても光栄だった。でも楽しめたのはあの1球前までだった」と肩を落とした。その直後、近寄ってきたマリナーズの関係者とともにその場から消えた。

 しばらくして戻ったマンの表情は、明らかに違っていた。謝罪後にイチローから予期せぬこんな言葉を贈られたからだった。

 「僕は大丈夫。本当、気にしないで。それよりも今日のことが今後に影響を及ぼすことがないよう自分の投球を心がけて、恐れずに内角に投げて欲しい」

 悪夢の投板から51日後の5月13日。ブランドン・マンはドラフト指名から16年を費やし、33歳で大リーグ初昇格を果たすと、早速その日のアストロズ戦で救援登板。1回2/3を投げて1安打無失点の上々デビューを飾った。

 後日、チェックした映像には内角への投球を駆使するマンの姿があった。


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