――こうした言い間違いについて大人はその都度直してあげるべきなのでしょうか?
広瀬:実は言語学者は、こうした例を言い間違いとは考えません。大人の文法とは違い結果的には間違ってはいますが、子どもが母語を身に着けているそのある段階での規則の姿なのです。さらなる修正を加えるかどうか決めるのは子ども自身(の頭の中の仕組み)です。
なので、親が訂正しても害はありませんが、その効果は期待しないほうがいいでしょう。「どうせ本人は聞いちゃいないよね」と開き直っておくのでいいと思います。「だいたい親が直さなくてもいつかは完成形に到達するわけだし」と信じることが大切だと思いますね。
もしお子さんが「いっぴき、にぴき」というような「間違い」をしていたら、「に・ひ・き でしょ! もう一度ちゃんと言ってごらん!」と訂正するよりは「3のときは? 4のときは?」と「今子どもの頭の中で建設中の規則の姿」を探ってみるのも面白いと思います。短い間しか見られない貴重なものです、親御さんも楽しんで観察してはどうでしょう。
語の活用などの形態変化や構文レベルまでの決まりまでをほぼ身につけたといえるのが6歳くらい、というのが大まかな了解です。言外の意を汲み取るような語用論レベルの理解までとなると7歳以降というのがざっくりとした了解でしょう。
――日本語と他言語で母語の獲得過程に違いはあるのでしょうか?
広瀬:それぞれの言語で音のレパートリー、語彙、文法規則などは当然違いますが、人間側のハード面に違いがあるわけではないというのが研究者の間での了解事項です。つまり、日本人の両親から生まれた赤ちゃんでも、もし何らかの事情で生まれてすぐ中国語を話す養育者に託されて中国語環境で育てられたならば、他の中国人の子どもと同様に中国語を身につけるはずです。ロシア語やスワヒリ語に置き換えても同じはずで、言語が違ったとしても生まれてくる赤ちゃんの頭のなかにある言語を習得する能力は同じところから始まるはずです。そして外界からの情報とその能力を整合させながら、母語の知識を整備構築してゆくという過程は大まかには共通しているはずで、言語によって一見違うように見える部分も、別途独立した説明が可能だと考えられています。
――日本語は、他言語と比べ特殊だとも指摘されることがありますが、そのことについてはどうお考えですか?
広瀬:世界的に見て「この言語よりあの言語のほうが難しい」「あの言語のほうが高度だ」という違いはないというのが多くの言語学者の信念です。ただ、「母語話者がその言語を問題なく使いこなして無意識に素早くコミュニケーションがとれているという事実をあえて説明するとなると、この言語よりあの言語のほうが難しい」というのはありますね。そして日本語はその説明が「難しい」ほうの言語かと思います。
たとえば、主語のすぐ後に動詞がでてくる英語のような言語と比べると、日本語では「AさんがBさんにクリスマスの朝素敵なプレゼントを…」まできてはじめて「あげた」または「あげなかった」「もらった」「売っているお店に行った」など、とにかく語順面での特徴として構造全体にかかわる重大な情報が最後まで得られないわけです。あるいは平気でどんでん返しが起こりやすい。加えて語順もそもそも自由すぎるし、主語や目的語の省略もしばしば。こうした「自由」な部分の大きさの大きさは裏返せば、理解する側にとっては確実なヒントが少ないという言い方ができます。外国語として学習する人にとっても、まあその人自身の母語にもよりますが、そういう実感が共有されることは十分考えられます。ですが母語話者にとってこの言語そのものが難しいというよりは、日本語が、他の言語を理解するのと根本的に同じハード(人間の脳の中の言語理解担当部門)を用いて効率的に理解されるのだという事実をうらづけるしくみを説明することが難しい、それは我々心理言語学者の課題でもあります。