2024年12月23日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2017年2月10日

 昨年8月、中央教育審議会は学習指導要領改訂のまとめ案を公表し、12月には審議結果をまとめた答申を文部科学相に提出した。その中には、これまで小学校5,6年生で行われていた「外国語活動」を教科に「格上げ」することが盛り込まれている。グローバル化や世間で広まる英語の早期教育を反映した格好だ。

 しかし、そもそもグローバルな人間とはどのような人間で、英語の早期教育は有効なのか? こうした根本的な議論が少ないように思う。そこで『「グローバル人材育成」の英語教育を問う』(ひつじ英語教育ブックレット)の執筆者の一人で、言語の認知科学が専門の大津由紀雄明海大学副学長・外国語学部教授に、先の2つの話題に加え、教科化までの経緯などについて話を聞いた。

(編集部注:インタビュー中の「言葉」はwordの意味で、「ことば」はlanguageの意味で使っています)

――まず、本のタイトルにもなっている”グローバル人材”という言葉について、大津先生はどう考えていますか?

『「グローバル人材育成」の英語教育を問う』(斎藤兆史、鳥飼玖美子、大津由紀雄、江利川春雄、野村昌司、ひつじ書房)

大津:一般的にはグローバル化が進む現代社会において活躍できる人たちを指し、その際に英語を使うことができれば社会で活躍できる可能性が、さらに広まるという含みで使われているのでしょう。しかしながら、そうした人たちが「グローバル精神を持っているのか?」と問われれば疑問です。

 本来、グローバル精神を持つ人たちの最低条件は「言語と文化の相対性」をきちんと理解した上で、行動できることです。「相対性」とは、言語間または文化間には違いがあるけれども、優劣はない、ということです。例えば原始的な言語や文化というものは本来有り得ません。そういうことを実感としてきちんと感じ取り、行動できることが最低限の条件ですね。

 しかし、世間では「グローバル化=英語化」だと多くの人たちが考え、本来のグローバル精神とは別のベクトルになってしまっている。それ故に、世界には様々な言語があるにもかかわらず、英語という特定の言語や、英語に支えられた特定の文化が肯定的に評価されているのが現状です。このような、本来あるべきグローバル化の姿とは違うベクトルで、「グローバル化=英語化」であると煽り立てるような英語教育では、これからの社会の中で、真に活躍する子どもたちを育てられないと思いますね。


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