文科省は小学校の教員に英語教育推進リーダーを増やし、さらにこのリーダーから研修を受けた中核教員を全校に配置する方針のようですが、そんなねずみ講のようなやり方では誰が考えてもうまくいきません。
他にもALTや地域で英語が得意な人を活用する案を出していますが、そういった方法も機能しないことは外国語活動の時点で現場はよくわかっているはずです。
――先ほど英語の教科化を急いでいる要因の1つとして早期教育の話が出ました。早期教育について悩んでいる保護者の方も多いと思いますが問題点はないのでしょうか?
大津:母語の発達に影響するのではないかと懸念する人もいますが、週に1~2時間の授業だけで母語がぐらつくことはないので、それは心配する必要ありません。
問題なのは、母語としての日本語が確立する前に、幼い頃から英語での子育てや、英語だけを使用する幼稚園など、長い時間英語だけに触れる環境で育てると、言語的に根無し草になってしまう心配があるということです。
世間では「セミリンガル」と言われていますが、こうしたケースでは、日本語も英語も母語として定着しない場合があります。しかも、厄介なことに傍目にはなかなか見抜けません。それこそ茶飲み話程度ならば英語でも日本語でもできるのですが、きちんと論理的な構造を持った文章を書く、読む、聞く、話すことが出来ないんです。一言でいえば、きちんと考えることができないということになります。
ことばはコミュニケーションの手段としても機能しますが、何と言っても、思考を支える働きが重要です。いくらペラペラに話せても、思考を支えられないとなると、人としての尊厳にかかわる問題になります。
――また13年から高等学校では原則として英語の授業を英語で教えることとなりましたが、こうした授業形態は有効なのでしょうか?
大津:外国語を学ぶ際に、全てを外国語だけで学ぶのと、母語での説明を交えながら学ぶのではどちらが効果的かという調査や研究は多数行われています。その結果、様々な条件下で、母語での説明を活用したほうが効果的だと明らかになっています。
つまり、学ぼうとする外国語を支える原理は学習者の母語を使って説明し、理解させるのが効率的で、効果的であるということです。
例を挙げましょう。文などの言語表現には構造があります。構造には、必要な部分がありそれを組み合わせることでまとまりができます。そうした1つ1つのまとまりを組み合わせることでさらに大きな全体ができる。
例えば、自動車の構造を思い浮かべてください。エンジンはいろいろな部品(部分)から成り立っています。つまり、そうした部品を組み合わせることでエンジンというまとまりができるのです。そのまとまりに、たとえば、ハンドルとか、ドアとか、他のまとまりを組み合わせて、自動車という全体ができる。
文を作る時も同じです。「あの」と「人」という語(部分)を組み合わせて、「あの人」というまとまりを作ります。文の場合、このまとまりは「句」と呼ばれます。その句を「笑っている」という他のまとまりと組み合わせて、「あの人が笑っている」という文(全体)ができる。この仕組みはどの言語でも同じです。一旦、この仕組みがあることを母語で実感しておくと、外国語を学ぶ時にもその実感を利用できる。だからこそ、本来ならば小学校で母語を使った、こうした教育をきちんとやっておくべきなのです。