東日本はもとより、西日本でも「尾瀬」はわりと知られた名前です。これは唱歌『夏の思い出』のためです。入山者数は、1989年(平成元年)から環境省のデーターがあり、1996年:64.8万人 / 年の訪問客が、2015年32.6万人になっています。今回は、尾瀬を通して、日本のアウトドア観光を考えてみたいと思います。
尾瀬へのルートは、厳しいチェック
尾瀬国立公園。群馬県、福島県、新潟県の境目に位置し、東に日本百名山の燧ヶ岳(2356メートル)、西にこれも日本百名山の至仏山(2228メートル)の間にある標高1400メートルの尾瀬ヶ原を中心とした自然公園です。これ以外にも2000メートルの景鶴山、白尾山に囲まれているので、四方を山に囲まれた窪地と思っていただければ、間違いがありません。
唱歌にも歌われた尾瀬は、日本百景にも選ばれています。特に緑の湿原に渡された木道は、尾瀬の典型的な風景でもあります。
先ほど、四方を山に囲まれたと書いたとおり、尾瀬ヶ原にクルマで横付けすることはできません。ルートは幾つかありますが、一番近い駐車場にクルマを停め、数キロほど、歩いてアプローチすることになります。
このため、尾瀬を日帰りで見たいとした場合、遅くとも朝9時〜10時には駐車場に乗り付け、午前中に尾瀬へのアプローチを済ませ、午後 数時間散策、その後山を登り駐車場へ戻り帰ることになります。
東京からの場合、東武鉄道の夜行列車「尾瀬夜行」が有名ですが、出発は浅草、前の日の23時55分。会津高原尾瀬口に着くのが午前3時18分。そして、4時20分のバスに乗り、尾瀬への会津側の入り口、尾瀬沼山峠に着くのが6時10分というあんばいです。完全な日帰りではありません。
まず尾瀬に行くのはできれば、日帰りでない方がベターということが分かってもらえればと思います。逆説的な言い方になりますが、このアプローチの悪さが尾瀬の自然が残ってきた原因ともいえます。
ダムの底に沈むはずだった!!?
尾瀬にキャンプ地はありますが、ゴミは持ち帰りが原則です。このため山小屋を利用する方がベターです。尾瀬には24軒の山小屋があり、全て、完全予約制の山小屋です。今回は、尾瀬ロッジを利用しましたが、ご飯は美味しい(ビールもあります)し、布団もそれなりですし、お風呂(石鹸、シャンプーは使えません)、トイレ(水洗です)もきれいです。蚊の防止のため、窓は閉め切り、エアコンなしだったので、多少寝苦しくはありましたが、夜半過ぎになると十分涼しかったです。
小屋の中で面白いのは「東電小屋」。洒落ではなく、東京電力所有の山小屋なのです。もっというと、東電は、尾瀬国立公園特別保護地区の7割、国立公園全体の4割を「所有」しているのです。国立公園ですから、はじめて聞いた時には驚きました。
この話は、大正時代、利根川、只見川の水源地でもある尾瀬に、水力発電所を作ろうという計画が持ち上がったからです。調査のための小屋が設けられます。そして、その土地と水利権を昭和26年に引き継いだのが、東電というわけです。
計画はいくつも案がありました。例えば只見川に、高さ85メートルのロックフィルダムを作る計画もその一つ。当然、尾瀬は水没します。利権も大きいですから、揉めに揉めます。そして東電が、尾瀬ヶ原の水利権を放棄するのが、1996年。ダム計画は長い間生きていたわけです。
唱歌『夏の思い出』の作曲は1949年ですが、超メジャーになるのは1962年。NHK「みんなのうた」で紹介されたからです。尾瀬にどっと人が押し寄せるようになります。残念ならは、この時期の入山者数は不明ですが、パワフルな時代ですから、さぞスゴかったことと思います。
人が自然に入ると、必ず荒れます。まして、自然保護の心得がないハイカーが大挙して押し寄せた尾瀬は、約1haの湿原が裸地化したそうです。失ったものを取り戻すのは、とても難しいです。しかも、回復がゆっくりとしかできない高原だと、人がサポートしても気が遠くなるような手間と時間がかかります。
東電は、1964年から木道の整備を始めます。尾瀬の木道は、人と自然が接触する範囲を限定するためです。今、木道は全部で65キロあり、東電の管理は20キロだそうです。また1969年からは、湿地の回復作業にも着手しています。
7月上旬の尾瀬
今回、7月の木曜日に、尾瀬には鳩待峠を経て行きました。鳩待峠から尾瀬ヶ原の入口に当たる「山の鼻」までの道の多くは木道。このエリアの大部分は東電が管轄しており、10年のサイクルで木道を取り替えます。
さて、翌朝朝 7時から、山の鼻から牛首分岐までを散策。実に絵に描いたような風景が続きます。絵葉書そのものと言っても嘘ではありません。歌に出てくる水芭蕉の花は6月一杯までなので、葉が生い茂るだけでしたが、7月下旬に最盛期を迎えるニッコウキスゲが、そこかしこに咲いていました。
広い湿原は、ほとんど音もないです。これは平地に比べ生物多様性があるものの、絶対数が少ないためだと思います。時たま遠くの森のカッコウの声がこだまします。
時々、他のパーティーと出会います。2本の木道は右側優先と決められていますが、日本人にとっては当たり前のことで、阿吽の呼吸の元、挨拶を交わしながらすれ違います。日が高くなるにつれ、山にかかった霧は晴れていき、あざやかな稜線が美しいです。帰るのがいやになる一刻でした。