2024年4月27日(土)

あの負けがあってこそ

2018年8月21日

 「当時の僕のタイムでは誰に聞いても到底インターハイなんて無理でしょ、と思われるものでした。だからこそ、勉強して進学するなんて選択肢は考えず、いかに水泳でインターハイに出場するかに集中して取り組むことができたのです」

 平野の特質はあくまでも主体的で柔軟に物事を考え動くことにある。けっしてやる前から「無理」だなどとは諦めたりはしない。その根底には自分への信頼があるからに他ならない。少年期から意志は固く、自分への約束事は必ず守る性格だったことによるものと考えられる。

 「1年の最初の夏は部活だけに集中し、その後、以前に通っていたスイミングクラブに戻って部活とスイミングで身体を鍛え、高校2年からはフィットネスクラブにも通って筋力をつけました。その結果、最後の年に50m自由形でインターハイ出場を果たすことができました」

 「もう一度自分の意志で水泳をやろうと思ったところから、インターハイに出場する高校の3年間で今の自分のベースができたと思っています」

 高校時代の目標であったインターハイ出場を果たし、なおかつスポーツ推薦で国士舘大学への進学を決めた平野は、目標設定の仕方や過程の検証、周囲の助言、身体の成長など様々なことをこの間に学び、二つの目標を達成している。「これが人生最大のターニングポイントになった」と振り返っている。

東京消防庁へ就職、水難救助隊員を夢見る

 平野は体育の教員になりたいと体育学部体育学科に進学した。

 「本格的に身体のことを学び運動を追求することができます。自分が高校3年間で成功体験をしているので、それを伝えられたらと思っていました」

 ところが、卒業後就職した先は東京消防庁だった。毎年、部の卒業生が消防か警察関係に就職していたことと、あこがれていた先輩が地元の消防庁に努めていたからだ。また、泳力を人命救助に生かしたいという思いがあったからである。

 6月の入庁前に「全日本ライフセービングプール選手権」を見に行った。泳力を見込まれ、後の水難救助隊での先輩にライフセービングをやってみないかと誘われた。

 「やります!」

 即答だった。プール以外のライフセービングのこともテレビで見たことがあり良いイメージを持っていた。楽しそうだし競泳にもプラスになるはずだ。

 平野はあくまでも競泳のためのライフセービングであって、軽い気持ちでやろうと決めた。まさか、後年その日本代表になるとは想像もしていなかった。

 東京消防庁へ入庁した平野は水難救助隊員になることを夢見ていた。日々の訓練に加え、水難救助研修の選抜試験の勉強に取り組んだ。その傍ら競泳とライフセービングを並行して行い、社会人になってからの充実感が嬉しかった。

「競泳には日本選手権大会(長水路)(短水路)とジャパンオープンという大会があって、当時はB決勝に出られるまでになっていて、消防という身体を使う仕事が結果として競泳に繋がってきていたし、ライフセービングも泳ぐだけではなく、走ることも含めて競泳に生かすことができていると実感していました。そこに精神的な充実も加わって、階段を少しずつ上がっていると思っていました」

 その後、水難救助隊の選抜試験に合格を果たした。


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