「人生における問題解決の選択肢を増やしてくれる」
それからはスイミングのコーチ、ライフセービングのガードショップのモデル、ラジオの出演など、新たなチャレンジを楽しみながら競技面では飛躍的な成長を遂げていった。
同年開催されたライフセービングのオレンジカップ(オランダで開催されたプール競技の国際大会)の日本代表に選出され、男子総合優勝の主力選手として活躍。プール競技の国際大会において歴史的快挙を成し遂げた。
翌2016年にはライフセービング世界選手権において4×50m障害物リレーで銀メダル、4×50mメドレーリレーでは銅メダルを獲得した。さらに翌年開催のワールドゲームズの出場権を獲得するなど、平野の存在は日本のライフセービング界に大きな存在感を示した。
それまでのライフセービング日本代表はプール競技に課題を抱え、オーシャン競技とビーチ競技でポイントを稼ぎ世界の8から10位という位置づけをキープしてきた。そこへ、平野のような競泳出身の「高速スイマー」の登場によって、プール競技でも世界と互角に戦えるようになったのである。
そして2017年、第2のオリンピックとも呼ばれるワールドゲームズにおいて、ライフセービング4×50m障害物リレーで圧倒的な速さを見せつけ世界新記録を樹立。日本代表は初優勝を飾った。
それだけでも特筆すべき実績だが、平野にはもうひとつ、声を大にして伝えたいことがある。
1981年に始まったワールドゲームズ史上初となる、2競技同時出場という快挙に留まらず、どちらも世界のファイナリストになっていることだ。
この大会、平野はライフセービングと並行してフィンスイミングに出場し、50mビーフィンでは6位に、100mビーフィンでは8位入賞を果たしていた。
「いつも目の前の大会だけに集中して結果を出してきましたが、ワールドゲームズは前年の世界選手権直後から『世界新を取りに行くぞ』ってリレーメンバーみんなで頑張った結果実を結びました」
「世界新をねらって取れた。これは大きな自信になっています」
フィンスイミングもライフセービングもはじめは楽しそうという感覚と競泳のためのものだった。その後、ライフセービングのハイパフォーマンスチームに選抜され、日本代表への可能性が見えてくると、もっともっと競技を追求したくなり、それが想像していた以上にすべての競技に繋がっていった。
ベストタイムを出すうえでの水の抵抗であったり、水の感覚であったり、道具を使うことによる水中での身体の使い方であったり、何一つ無駄になるものはなかった。
競泳だけでは学べないものを2つの競技から学び、狭い常識の殻を破ることによって様々な選択肢を得ることができたと平野は考えている。
これが複数の競技を同時に行う「マルチアスリート」を平野が薦める所以なのである。
「競技に限らず、ひとつのことにこだわらず様々なことにチャレンジして経験することが大切です。自分にできることなのか、できないことなのかはやってみなければわかりませんし、失敗しなければどうすれば成功できるかはわかりません。失敗から何を学び、次にどう生かしていくかが大切なのです。その点スポーツは失敗からいろいろなことを学ばせてくれます。それは自分を客観視したり、問題を俯瞰する能力にも繋がり、人生における問題解決の選択肢を増やしてくれるということです」
現在は帝京大学水泳部テクニカルコーチを務め後進の指導に当たる傍ら、夏場は辻堂ライフセービングクラブのメンバーとして辻堂海岸及び山形県西浜海水浴場で海水浴客の安全を守っている。
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