原発事故の法的責任にはいろいろな議論があるにせよ、政治的・政策的責任については、政府・政権党の誰もが逃れることはできない。リスクが顕在化しない間はメリットを享受しながら、リスクが現実のものとなった瞬間、官民の政策関係者たちが責任を押し付けあっている姿に、被害者や現場の作業員の方々をはじめ、国民全体が大きな失望を味わったのである。原子力利用は、石油危機を契機に、国が事業者よりも前面に立って推し進めてきた根幹的政策だ。そのことを知っている人々は、今回のようなときこそ、国家を支える政治が責任を請け負う気概を見せてほしいと望んでいるのである。
玉虫色の賠償スキーム
賠償スキームについては、国の責任と事業者の責任との区分を巡って議論が迷走した。こうした混乱が起こるのではないかということは、約50年前の原子力損害賠償法(以下、原賠法)策定時から予想されていたのだ。
この法律のもとになった原子力委員会の専門部会の検討では、「歴史上前例がない『原子力の平和利用』による利益は大きいが、万一の場合損害は甚大となる危険を含む。政府がその利益を必要と認めて、原子力推進を決意するなら、被害者に対する関係ではすべて政府が責任を負う」という答申が出た。それが政府部内で法案を検討されていく段階で、「原子力事業といえども民間企業であり、民間企業が第三者に損害を及ぼした場合に、被害者に対して国が責任を負うということはありえない。国策から原子力事業の助成をすることは可能であり、賠償責任を負う企業がつぶれないように資金のあっせんや助成を行うことはありうる」という考え方に変化して、今の原賠法が成立したという経緯がある。
その結果、同法は「被害者の保護」と「原子力事業の健全な発達」という2つの目的を併存させることとなった。むしろ政府部内では、国が賠償責任を負うことが微塵もないよう「被害者の保護」という目的を削除しようとする強い意見があったくらいである。国がつぶれそうな原子力事業者をどういう場合にどの程度援助するかや、事業者が免責される「異常な天災地変」とはどのような場合かなどについては、実際の例を想像することも難しく、結局曖昧なままになった。そのため、万一被害が生じた場合、本当にこの法律が機能するのかどうかは、先の答申作成に携わった民法学者の我妻栄教授が最も心配していた点である。
5月に決定された今回の賠償スキームは、民間企業である東京電力が賠償の前面に立ち、国はそれに対して「後方支援」をするというこの後者の考え方に立っている。しかし、今回の賠償スキームは、東京電力の賠償支払いに上限を付しておらず、今後何十年もの間、賠償の責に任じられることになる。そのため、資金面や人材面での電気事業自体の遂行能力が格段に劣化していくことは免れない。
また「電力の安定供給に支障が生じるなど例外的な場合」には政府が補助を行うことが可能とされてはいるが、実際に政府が補助する段になれば、原賠法の運用と同様、国費を投入することに大きな抵抗が発生するだろう。枝野幸男官房長官が、実質的に金融機関に債権放棄するよう求めたようなことが、今後とも起こるリスクも十分あることから、民間からの融資や社債発行はほとんど不可能になる危険がある。結果として、同法の目的の一つである「原子力事業の健全な発達」という点は実現できなくなるだろう。