2024年4月20日(土)

子育ていろいろ 本いろいろ

2018年9月12日

教師へのサポートが子どものサポートになる

――複数の目が必要?

岸田:いじめの被害者と加害者が全然違う話をすることも多いわけですよね。そのときに教師が1人だけで解決しようとすると、判断が偏る場合もあり、危険です。複数の大人が見守り、「そういえばあのときも一人でいた」とか「不自然だった」といった情報を共有して問題を把握する必要があります。

――90年代頃はまだ、「いじめられる子にも問題がある」という雰囲気が強かったように思います。その状況は変わってきていますか?

岸田:変わっているところもありますが、まだまだ残っていると思います。そうでなければこんなに簡単にいじめが起こることはないのではないでしょうか。大人がそういう価値観をまだ持っていて、子どもたちに伝わってしまっている面もあると思います。「いじめられる子は弱い子」「言い返したり殴り返したりできないのは弱いから。強くなれよ」って論理を。それは違うよ、人を傷つけてはいけないよねということを真剣に伝えないといけません。

――学校の中にも努力している先生はいると思います。一方で、『いじめで死なせない』の中で挙げられている教師の対応の中には、これはちょっとひどいなあ……と感じるものも。

岸田:学校の先生って、基本的に子どもが好きで夢を持って教師になってらっしゃるので、特に若い先生方は、いじめで子どもたちがこんなにお互いを傷つけ合う事実を目の前にして、まずびっくりしてしまう。加害者は「あっちが悪い」、親も「うちの子がいじめたという証拠はあるんですか?」と言ってきて、どうしたらいいかわからなくなるということがあると思うんですね。

――だからこそ、先程仰ったように、複数体制が必要なのですね。

岸田:はい。そして親は、そういう現実を知っておくことが必要だと思います。適切に対処してくれる先生もいるけれど、お預けしておけば大丈夫というわけでもない。先生が忙しいからこそ、子どもの状況を共有して、先生をサポートする。先生のサポートは子どものサポートにつながるので、学校に親も含めた第三者の目が入ることは大切です。

反省のない加害者、体罰を容認するその親

――本書の中に、2011年に起きた滋賀県大津市の男子中学生のいじめ自殺事件について、加害者側に損害賠償を求める裁判の傍聴に行かれた際の記述があります。加害者の少年の証言には反省の気持ちが感じられないことが衝撃でした。

岸田:裁判ですから否認するだろうとは予測していましたが、私もショックでした。平然と「いじめではない」と。「りんごは赤い」と言うのと同じぐらいの当たり前のような口ぶりでした。

――あれだけ大きく報道されましたし、当然後悔や反省はあるのだと思っていました。

岸田:なぜなのだろうと思いますが、逆に言うとそうでなければあそこまでのいじめはできなかったのかもしれないと思います。その後、加害者の親の言葉を聞いて腑に落ちるところがありました。

――加害者の親は息子に対して「痛みを味わってほしいから」という理由で、「本当はたたきたくないが」手を上げたことがあったと。岸田さんは、「暴力は連鎖する。『理由』をつければ暴力をふるってもよいのだ、と身体で覚えた子どもは暴力というものに対するハードルが低くなる」と書かれています。

岸田:体罰を容認する意識は社会に根強くあります。その理屈が正論のように聞こえてしまうことについて、「おかしい」と伝えていかなければいけないと思います。


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