映画などでアメリカの大学スポーツのシーンを観ると、日本とは比較にならないほど盛り上がっている。日本でも野球やバスケットボールなどアメリカ型競技をプレーする人は多いが、一体なぜあれほどまでにアメリカでは大学スポーツが盛り上がっているのか。今回は『スポーツ国家アメリカ』(中公新書)を上梓した慶應義塾大学法学部、鈴木透教授に、アメリカ型競技とヨーロッパ型競技の違い、アメリカの大学スポーツの現状について話を聞いた。
――今回の本のタイトルは「スポーツ国家アメリカ」。アメリカでは、4大スポーツと言われるNFL(アメリカンフットボール)、NBA(バスケットボール)、MLB(野球)、NHL(アイスホッケー)がメジャーです。サッカーやラグビー、テニスなどヨーロッパを起源とするスポーツがある一方、4大メジャースポーツはアメリカ発祥のものが多い。日本ではサッカーと野球が比較されることが多いですが、ヨーロッパ起源とアメリカ起源のスポーツの違いとは、どんな部分でしょうか?
鈴木:サッカーは、オフサイドのルールがあることで、得点を量産できないようになっています。対する、アメリカを起源とするアメリカ型競技では、成果、つまり得点を最大化することに主眼が置かれている。そこが一番大きな違いではないでしょうか。
メンバーチェンジに関しても、サッカーは3人までですが、アメリカ型競技はアメフトにしろバスケにしろ交代に寛容です。サッカーがひとりの人間が最後まで戦う美徳を持っているのに対し、アメリカ型競技は成果を最大化するために状況に応じてメンバーチェンジを頻繁に行います。能力さえあればたとえ一部であったとしても試合に出られるという意味では、より多くの人にチャンスがあり、デモクラティックだとも言えます。
こうした競技理念の成立の背景には、アメリカの歴史が関係しています。野球、アメフト、バスケが競技としての骨格を整えたのは、いずれも19世紀の後半から20世紀初頭ですが、それは巨大企業による市場の独占によって深刻な格差社会が出現し、そこからの出口をアメリカが模索していた時期でした。資本主義的成果の最大化と民主主義的で公平なアクセスを両立させることでアメリカを再生しようとした精神が、アメリカ型競技理念の重要なゆりかごなのです。
――監督が果たす役割にも違いはありますか?
鈴木:ヨーロッパ起源のスポーツでは、試合が始まると監督が介入できる度合いが低い。たとえば、ラグビーの場合、監督は試合中スタンドで観ていないといけませんし、サッカーでもテクニカルエリアまでしか出ることができません。試合中は、選手個々の自主性やクリエイティビティが求められる。
一方のアメリカ型競技は監督が試合中に介入できる度合いが非常に高い。野球でピッチャーが交代する場面では、監督はマウンドまで行きます。アメフトの場合には、監督の下にオフェンスとディフェンスのコーディネーターがいて、実質的にはプレーの指示を出していますが、監督が試合中に選手に直接指示することができる。成果を最大化するためには、状況を冷静に判断して指示を出し、最適なプランや戦略を実行する必要があるためです。
――今年起きた日本大学のアメフト部の事件でも、監督やコーチからの指示の有無が焦点になりましたね。
鈴木:指揮系統に強い権限を与えて成果を最大化しようとするアメリカ型競技の特徴が影響していると思います。アメフトという競技においては監督の指示は絶対であるという認識、そこにさらに日本型の体育会的な文化が合体して起きた事件だと考えています。
他の競技では監督が一定のサイクルで替わるのに対し、日本のアメフトの場合、競技人口の問題もあるとは思いますが、長期間に渡ってつとめることが多いという風土も関係していると思いますね。